メシュトロビチ(英語表記)Ivan Meštrović

改訂新版 世界大百科事典 「メシュトロビチ」の意味・わかりやすい解説

メシュトロビチ
Ivan Meštrović
生没年:1883-1962

ユーゴスラビア彫刻家クロアチアに生まれ,1901年よりウィーンアカデミーで学ぶ。ロダンゼツェッシオン分離派)の影響を受け,新生ユーゴスラビアの民族的表現をめざした。様式化された力強く明快な形で,政治的主張をもつ記念碑を国内各地,さらにルーマニアやアメリカに制作した。晩年を過ごしたアメリカ,インディアナ州サウス・ベンド近郊で没。ユーゴスラビアを代表する芸術家として国外において最も著名で,日本でもすでに大正年間に詳しく紹介されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メシュトロビチ」の意味・わかりやすい解説

メシュトロビチ
めしゅとろびち
Ivan Meštrović
(1883―1962)

旧ユーゴスラビアの彫刻家。クロアチアのブルポーリェ村に生まれる。篤志家援助を得て、17歳でウィーンに出、アカデミーでヘルマン・ヘルマーや建築家オットー・ワーグナーに学ぶ。とくに後者の影響を受け、分離派(ゼツェッション)運動に参加した。熱烈な愛国者で、彫刻と建築の統合を試みた記念像を多くつくり、「ユーゴのミケランジェロ」とうたわれた。第一次世界大戦後の新生ユーゴにおいて、ザグレブ美術学校長を長く務めて後進を指導したが、第二次大戦中はスイス、イタリアに亡命。戦後アメリカの大学に招かれ、サウス・ベンドで客死。代表作は『無名戦士の墓』『生命の泉』など。

[三田村畯右]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「メシュトロビチ」の意味・わかりやすい解説

メシュトロビチ

ユーゴの彫刻家。クロアチア生れ。ウィーンの美術学校に学ぶ。ゼツェッシオンのほかロダンマイヨールなどの影響を受けた。スラブ民族独自の表現をめざし,様式化された単純な形態によるモニュメントを多く手がけた。1947年以降米国に移住。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のメシュトロビチの言及

【ユーゴスラビア】より

…スロベニアの印象派の画家であるヤコピッチRihard Jakopič(1869-1943),ヤーマMatija Jama(1872-1947),グロハルIvan Grohar(1867-1911),ステルネンMatej Sternen(1870-1949)やセルビアの表現主義の画家ペトロビッチNadežda Petrović(1873-1915)も,アジュベの門下から出ている。新生国家ユーゴスラビアの各地に記念碑を制作した彫刻家メシュトロビッチ(1883-1962)は民族主義の主張を雄弁に表現した。1929年クロアチアの若い画家たちがグループ〈ゼムリャZemlja(大地)〉を結成,その一人ヘゲドゥシッチKrsto Hegedušić(1901-75)はフレビネHlebine村で少年農夫ゲネラリッチIvan Generalić(1914- )に出会い,政治的傾向をもったフレビネ派と呼ばれるクロアチアのナイーブ派が成立する契機となった。…

※「メシュトロビチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android