スイスの天文学者。ローザンヌ生まれ。ローザンヌ大学で理論物理学を学び、1966年修士号取得、1971年ジュネーブ大学で天文学の博士号を得た。以来、同大学で研究・教育活動に携わり、1984年同大学準教授、1988年教授、1998年同大学のジュネーブ天文台の所長に就任。2007年にジュネーブ大学名誉教授。
マイヨールは当初、連星や相互の重力によって球状に集まった球状星団、銀河系の構造解明に取り組み、木星の質量の11倍となる褐色矮星(わいせい)の存在をつきとめた。1994年に彼の研究室に大学院生のディディエ・ケローが入ってくると、フランス南東部にあるオートプロバンス天文台で、巨大惑星などを探索するために太陽に似た142個の恒星の観測を始めた。彼らは放射状に広がる星の動く速度などを正確に測定できる高分解能の分光計「ELODIE(エロディ)」を開発し、同天文台の口径1.93メートルの望遠鏡に設置した。恒星の周りを惑星が回転すると、恒星は惑星の重力によって中心からふらつくように動く。2人は、地球から約50光年離れた「ペガスス座51番星」を観測したとき、この恒星が秒速13メートルで動いていることを確認。すぐに惑星をみつけることができなかったが、1995年1月に、この星の近くに太陽系最大の惑星である木星の半分の大きさをもつ惑星の存在を検出した。50年以上にわたって存在が予想されたにもかかわらずみつからなかった、初の太陽系外惑星の発見だった。この発見には、救急車のサイレンが近づくときと遠ざかるときで音色が変わる「ドップラー効果」が応用された。ペガスス座51番星は、周回する惑星の重力によって、明るさが定期的に変化するが、観測者に近づくときと遠ざかるときで、波長が変化する(輝き方が変化する)ことをつきとめた。この惑星は、木星と同じ巨大ガス惑星で、恒星までの距離が、太陽と水星間の8分の1にあたる800万キロメートルを約4日で公転していた。この発見をその年1995年10月のイタリアの学会で発表すると、世界の天文学者を驚かせたが、これを機に、系外惑星は次々に発見され、系外惑星研究が飛躍的に進んだ。これまでに約4000個を超える系外惑星の存在が確認され、地球以外に生命体が住む惑星の発見にも期待が高まっている。
2004年アルベルト・アインシュタインメダル、2005年ショウ賞(天文学部門)、2015年イギリス王立天文学会ゴールドメダル、京都賞(基礎科学部門)、2017年にウルフ賞(物理学部門)を受賞。2019年「史上初の太陽に似た恒星を周回する系外惑星の発見」による業績で、弟子のケローとともにノーベル物理学賞を受賞した。「宇宙物理学における新たな理論の発見」の業績で、ビッグ・バン理論の基礎を築いたことが評価されたプリンストン大学の名誉教授ジェームズ・ピーブルスとの同時受賞であった。
[玉村 治 2020年2月17日]
フランスの彫刻家。スペイン国境に近い南フランスの地中海沿岸バニュルス・シュル・メールに生まれる。初め画家を志して1881年にパリに出るが、エコール・デ・ボザールの入学試験に失敗を重ね、85年ようやく入学を許され、ジェロームとカバネルの教室に入る。やがて平面性を強調するゴーギャンの作品から影響を受けるに至り、ゴーギャン芸術を信奉する若い画家のグループ、ナビ派と親交を結んでその一員となる。ナビ派の装飾的構図にひかれてタペストリーにも興味をもち、その制作に自らの進むべき道をみいだそうとした。しかし細かい仕事がたたって目を病み、1900年には断念せざるをえなくなった。彼は不惑を迎えようとして迷い、模索を続けたが、結局1895年ころから手がけていた彫刻に転じた。1902年、画商ボラールのもとで最初の個展が開かれ、このときロダンがブロンズの小像『レダ』を激賞した。以来、彫刻を天職と自覚したマイヨールは大作に挑み、05年のサロン・ドートンヌに『地中海』を出品、その豊かで気品に満ちた重量感、調和にあふれた静かな構成は、ジッドやミルボーらの賞賛するところとなり、現代彫刻の革新者としての名声を確立した。
マイヨールの彫刻は、ロダンの作品にみられるニュアンスに富んだ肉づけと劇的な構成とは対照的に、単純明快で滑らかな面によって構築され、豊かなボリュームを生み出している。その古典的な静謐(せいひつ)さは地中海文化の人間性に源を発し、普遍性、永遠性にも通じるものを感じさせるが、そこにはまごうかたなき現代性が刻印されている。彼は生涯を通じてあらゆる注文に女性の姿をもってこたえた。彼においてはあらゆるものが、あらゆる観念が女性の肉体として現れる。交通事故にあい、バニュルスの自宅で没した。
[大森達次]
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フランスの彫刻家,画家。スペインとの国境に近い地中海の漁港バニュル・シュル・メールBanyuls-sur-Merに生まれる。奨学金を得てパリに出,エコール・デ・ボザール(国立美術学校)でジェロームとカバネルに師事するが,むしろ印象主義,あるいは1894年に友人を介して知りあったゴーギャンたちの影響を受け,ナビ派風の装飾的構図で油彩,タピスリー下絵を描く。しかし,1893年彼自身が故郷に創設したタピスリー工場での作業で視力を弱くし,98年ころより独学で彫刻を始める。すでに1902-05年には代表作の一つ《地中海》を制作。その他《イル・ド・フランス》(1920-25)など,主として裸婦を古典的な明るい感性で扱い,豊かな量感,柔軟で明確なフォルムを生み出し,ロダン以後の20世紀彫刻の最初の指標となった。バニュル・シュル・メールとパリ西郊マルリ・ル・ロアMarlys-le-Roiで制作。またウェルギリウス《農耕詩》などの挿絵(1925)も残す。
執筆者:中山 公男
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1861~1944
フランスの彫刻家。ゴーガンの影響を受け,古代ギリシアの古拙味と現代との総合を図ったフランス彫刻界の巨匠。簡素で充実したフォルムと力強いマッスが特徴といわれる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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