メンデレス(読み)めんでれす(英語表記)Adnan Menderes

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メンデレス」の意味・わかりやすい解説

メンデレス
めんでれす
Adnan Menderes
(1899―1961)

トルコ政治家。トルコ西部のアイドゥン県に大地主の長男として生まれる。アンカラ大学法学部卒業。1931年共和人民党から国会議員に初当選して政界に入る。1945年同党の土地改革、民間企業の国営化に反対して離党ジェラル・バヤルなどとともに民主党結成に中心的役割を果たす。1950年5月の総選挙で民主党が圧倒的勝利を収め、25年間続いた共和人民党の一党独裁政治は終焉(しゅうえん)した。新政権でバヤルが第3代大統領に選出され、メンデレスは首相就任した。民主党は経済統制の撤廃農業開発、外資導入、インフラの整備などを積極的に進めた。しかし、こうした開発戦略はインフレ、巨額の財政赤字と外債残高など経済混乱を引き起こし、1950年代後半になると反政府運動が激化した。政府は言論弾圧などで応じ、これが1960年5月に軍事クーデターを招来する結果となった。クーデター後、メンデレスは逮捕され、マルマラ海に浮かぶヤッス島に設けられた特別軍事法廷で死刑判決を受ける。翌1961年の9月17日、外相ゾルルFatin Rüştü Zorlu、財務相ポラトカンHasan Polatkanとともに絞首刑に処せられた。

[長場 紘]

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改訂新版 世界大百科事典 「メンデレス」の意味・わかりやすい解説

メンデレス
Adnan Menderes
生没年:1899-1961

トルコの政治家。アナトリア西部のアイドゥンに生まれる。アンカラ大学法学部を卒業し,1930年共和人民党の国会議員となる。46年同党を離党し,バヤルとともに民主党を結成。50年総選挙で第一党となり首相に就任した(-1960)。民間企業の育成,農業の近代化を推進したが,インフレによる経済破綻を招き,都市労働者,学生の不満が爆発し,社会は混乱状態に陥る。60年軍部クーデタにより倒閣裁判により死刑の判決を受け処刑された。
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百科事典マイペディア 「メンデレス」の意味・わかりやすい解説

メンデレス

トルコの政治家。アナトリア西部のアイドゥン生れ。アンカラ大学法学部を卒業するが,一時農民となった。初代大統領ケマル・アタチュルク創設した一党独裁の共和人民党に推され,1930年国会議員となるが,1946年複数政党制に移行すると同党を離党,C.バヤルとともに民主党を結成した。この年の総選挙では共和人民党に敗れるが,1950年民主党は自由主義的な政策を掲げて大勝,バヤルが大統領,メンデレスが首相となって,1960年5月までの10年間政権を担当した。民間企業の育成や農業の近代化などを推進したが,過剰投資によるインフレが進行,都市労働者や学生の不満が爆発した。社会混乱の中,批判者への弾圧を強化し独裁化したため,1960年5月軍のクーデタにより罷免された。裁判で死刑の判決を受け,1961年処刑された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メンデレス」の意味・わかりやすい解説

メンデレス
Menderes, Adnan

[生]1899
[没]1961.9.17. ヤッス島
トルコの政治家。首相 (1950~60) 。アンカラ大学卒業。 1930年国会議員。 46年ジェラル・バヤル,ファト・キョプリュリュらと民主党を創設。 50年の総選挙で民主党が共和人民党を押えて第1党となると,首相に就任。3期政権を担当したが,経済政策の破綻,言論,出版に対する過度の弾圧が,60年の軍事クーデターを引起し,彼は逮捕されて 61年の軍事裁判の結果,絞首刑に処された。

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