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モスタル モスタル Mostar

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モスタル
モスタル
Mostar

ボスニア・ヘルツェゴビナ南部のヘルツェゴビナ地方の行政中心地。ネレトバ川の下流に臨む。モスタルはセルボ=クロアチア語で「古い橋」の意味。オスマン帝国占領当時の 1566年に木の吊橋が石のアーチ橋にかけ替えられた。

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デジタル大辞泉の解説

モスタル(Mostar)

ボスニア‐ヘルツェゴビナ南部の都市。15世紀オスマン帝国期に建設され、ヘルツェゴビナ地方の中心地として栄えた。続いてオーストリアハンガリー帝国ユーゴスラビア王国領となった。市内にある、ネトレバ川に架かる橋スタリモスト世界遺産

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世界大百科事典 第2版の解説

モスタル【Mostar】

ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国南部,ヘルツェゴビナ地方の中心都市。人口7万6000(1991)。カルスト地形のモスタル平原部のネレトバNeretva川両岸に発達した東洋風の印象を与える美しい町である。7世紀ごろから南スラブ人が定住した。町は15世紀の文献にオスマントルコ地方長官の居住地として言及されているが,1566年ころネレトバ川に石橋が架せられて以降発展した。両端に検問用の塔をもつ美しい石橋は町のシンボルとなり,町名もこの〈古い橋(スターリ・モスト)〉にちなむ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

モスタル
もすたる
Mostar

ボスニア・ヘルツェゴビナ南部の都市。ネレトバ川の両岸に広がるヘルツェゴビナ地方の中心都市である。都市人口9万0800(2003推計)。1991年時点ではムスリム人、クロアチア人それぞれ3割強を占め、セルビア人も居住していた。ローマ時代はアンデトリウムAndetriumとよばれ、7世紀以降、南スラブ諸族が定住した。15世紀にオスマン帝国領となり、都市名の由来となるトルコ式アーチの石橋「古い橋(スタリ・モスト)」が1566年に建てられ、両岸が結ばれた。ヘルツェゴビナ地方の行政中心地として発展し、オーストリアハンガリー帝国統治期に鉄道が開通してからは観光地としても注目され、とりわけ、ネレトバ川左岸のモスクトルコ風の商店街は石橋とともに知られた。しかし1992年から95年までのボスニア内戦の過程でクロアチア人勢力はここを拠点にし、93年に町の象徴でもあった石橋は破壊された。ユーゴ紛争を調停したデイトン合意以降、ボスニア・ヘルツェゴビナを構成するボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側に帰属した。[木村 真]

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