イギリスの物理学者。ドーセットシャーのウェーマスの生れ。オックスフォードのトリニティ・カレッジで物理学を学び,1910年の秋マンチェスター大学のE.ラザフォードを訪ね,学生実験の助手職を得た。ラザフォードのもとで,ラジウムB(214Pb)やラジウムC(214Bi)の1個の原子から放出されるβ粒子数を決定するための研究を行い,放射性物質や放射線の扱いを学んだ。12年の秋からは特別研究員制度の適用をうけて研究に専念,同年M.vonラウエによる結晶のX線回折の成功の知らせをきき,これを契機としてX線の波動性の研究を開始した。数理物理学者のC.G.ダーウィンとの共同研究によって,ブラッグ父子におくれたものの,同様な回折の関係式を得,反射線が同一の透過能力をもつことやその強度が角度によって変化することを見いだした。さらにこの変化に生じたピークが,使用したX線管の対陰極物質である白金の単色X線の特性に一致していたことから,対陰極物質の原子量または原子番号と放出される特性X線の波数(波長の逆数)との関連を追究し,13年モーズリーの法則を見いだした。同年の12月にはオックスフォードに移って研究を継続,未知元素同定に特性X線を使用する研究などを行っていたが,第1次世界大戦が始まると志願兵として入隊,15年8月にトルコのガリポリで戦死した。
執筆者:日野川 静枝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イギリスの物理学者.イートン校とオックスフォード大学トリニティ・カレッジで学ぶ.1910年マンチェスター大学の物理学実験助手になり,E. Rutherford(ラザフォード)のもとで放射性物質の原子から放出されるβ粒子の計測実験を行い,高真空と放射能に関する技術を修得した.1912年からW.L. Bragg(ブラッグ)のもとでX線技術を学んだ後,X線の回折実験をはじめ,全元素の特性X線を系統的に測定し,その振動数と原子番号の間の関係式モーズリーの法則を導き,原子番号が実験的に決定でき,しかもそれがN.H.D. Bohr(ボーア)の理論の原子核の正電荷数と等しいと主張した.1913年末にはオックスフォード大学に戻って研究を続けていたが,第一次世界大戦がはじまるとイートン校卒業生の義務感から従軍を志願し,トルコのガリポリ(ゲリボル)半島最南端ヘッレス岬で戦死した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ここでKとsはスペクトル線の種類によって決まる定数である。1913年H.G.J.モーズリーが実験的に見いだしたもので,N.H.D.ボーアの原子模型に理論的な根拠を与えるとともに,原子核の周囲の電子構造解明の手がかりを与え,元素の周期律表は原子量よりも原子番号によって整理されるべきもの,いいかえれば原子番号のほうがより基本的な量であることを明らかにした。X線【細谷 資明】。…
※「モーズリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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