デジタル大辞泉 「ブラッグ」の意味・読み・例文・類語
ブラッグ(Bragg)
(William Lawrence ~)[1890~1971]英国の物理学者。の息子で、オーストラリア生まれ。1915年、父とともにノーベル物理学賞受賞。
イギリスの実験物理学者。カンバーランドのウェストワードの生まれ。ケンブリッジのトリニティ・カレッジに学び、主として数学を修めた。1886年オーストラリアのアデレード大学の数学および物理学教授に就任、1909年に帰国してリーズ大学教授、1915年よりロンドン、ユニバーシティ・カレッジ教授を経て1923年以降王立研究所長を務めた。
1904年、放射性物質からの放射線と物質の相互作用に関する実験的研究を始め、まずα(アルファ)粒子の飛程と物質のα粒子に対する阻止能の研究で認められた。ついで、γ(ガンマ)線やX線が物質性をもつ粒子からなるという仮説に基づいて、各種放射線の電離現象を研究し、X線の粒子的特性を実験的に導き、X線をエーテル・パルスと考えるバークラと論争を行った。この間にアインシュタインの光量子説を知り、γ線やX線と光との共通性を考察するようになる。1912年にラウエが結晶によるX線回折に成功すると、ただちに追実験を行い、息子ローレンス・ブラッグがこの現象を結晶格子面による反射と考えて「ブラッグの法則」を導き、一方、彼は最初のX線電離分光計をつくり、X線反射スペクトルの定量測定を可能にして、父子が共同してX線による結晶構造解析の方法を確立していった。彼は同時にいくつかの特性X線の波長を決定して、X線領域における光量子説を確証した。これらの功績によって1915年ノーベル物理学賞を息子とともに受賞した。第一次世界大戦中は一時、水中音波探知などの戦時研究に従事したが、その後、結晶構造解析の研究に戻り、有機化合物の結晶に研究分野を広げた。王立研究所長時代には同じ分野の優れた研究者を多く育て、のちの生体物質の構造解明の基礎をつくった。著書には専門書のほかに、クリスマス講演に基づいた『音の世界』(1920)などの優れた啓蒙(けいもう)書がある。1935年から1940年まで王立協会会長を務めた。
[川合葉子]
イギリスの物理学者。W・H・ブラッグの長男で、オーストラリアのアデレードに生まれる。同地の大学に入学したが、1909年父の転任に伴ってイギリスに渡り、ケンブリッジのトリニティ・カレッジに入った。1912年卒業してすぐにラウエの結晶によるX線回折の論文に接し、その解析方法に疑問をもち、「ブラッグの法則」を導いた。引き続いて父とともにアルカリハライド結晶を手始めとしてX線による定量的な結晶構造解析の手法を確立し、1915年父とともにノーベル物理学賞を受賞。以後もケイ素化合物、合金、生体物質などの解析に次々と取り組み、化学や鉱物学など多くの分野に貢献した。1919年マンチェスター大学教授、1937年国立物理学研究所長、1938年キャベンディッシュ研究所長を歴任、1954年から1966年まで王立研究所長を務めた。
[川合葉子]
イギリスの物理学者。カンバーランドのウェストワードの生れ。ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに学び,1885年数学と物理学の教授としてオーストラリアのアデレード大学に赴任,以後1908年までオーストラリアにとどまった。1904年の春からα線の透過実験に取り組み,α線が限定された飛程をもついくつかのグループに分かれることを示し,α線の飛程がそれを放出する元素に固有なものであることを見いだした。また,β線やγ線を物質に照射したときに放出される二次放射線の研究も行い,γ線とX線の粒子説にまで到達した。07年ローヤル・ソサエティ会員に選ばれ,翌年リーズ大学の物理学教授としてイギリスに帰国。11年から12年にかけての放射線による電離現象の研究から,X線による空気の電離のほとんどが二次電子によるものであることを明らかにし,またM.vonラウエによる結晶のX線回折現象の発見後は,X線の粒子説によってその現象を解明しようと試みた。13年回折線自身がX線であることを電離箱を使用して確証,さらに回折線の強度を測定するためのX線分光計を開発,これを用い,長男W.L.ブラッグとともに結晶の原子的構造を解明した。15年これらの業績によって,親子でノーベル物理学賞を受賞。15年からはロンドンのユニバーシティ・カレッジの物理学教授,23年ローヤル・インスティチューション所長,35年から40年までローヤル・ソサエティの会長。
執筆者:日野川 静枝
イギリスの物理学者。W.H.ブラッグの長男。オーストラリアのアデレードの生れ。アデレード大学に入学したが,1908年父の転勤に伴ってイギリスに移り,09年からはケンブリッジのトリニティ・カレッジで学んだ。M.vonラウエによる結晶のX線回折像の数学的解析(ラウエ条件)に疑問をもち,この現象を格子面によるX線の反射とみなすことにより,X線の波長λ,格子面の間隔d,X線の視射角(入射角の余角)θとの間に,正の整数をnとして,nλ=2dsinθの関係(ブラッグ条件)が成立するとき,そのθの方向に回折線が現れることを明らかにした。さらにこの条件と父ブラッグが13年に製作したX線分光計を使用して,塩化ナトリウム,塩化カリウム,方解石,閃亜鉛鉱,蛍石,方鉄鉱などの結晶構造を解明,15年には父とともにノーベル物理学賞を受賞した。19年からマンチェスター大学の物理学教授,38年にはケンブリッジのキャベンディシュ研究所長となって生体物質の結晶構造と電波天文学の研究を推進した。53年から66年までローヤル・インスティチューション所長。
執筆者:日野川 静枝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イギリスの物理学者.W.H. Bragg(ブラッグ)の息子.父が教授を務めていたオーストラリアのアデレード大学で当初学び,1909年イギリスのリーズ大学教授になった父とともにイギリスに行き,ケンブリッジ大学で学ぶ.卒業後,キャベンディッシュ研究所の研究生であった1912年の秋,M.T.F.von Laue(ラウエ)の写真のことを知り,放射線が結晶内の平行な面によって回折されることに気づく.父とのX線による結晶構造の共同研究は2年に及び,結晶面でのX線反射におけるブラッグ条件を見いだし,ダイヤモンド,塩化ナトリウム,蛍石,方解石など9種類の結晶構造を解明するなど,その研究の成果は1915年に“X線と結晶構造”にまとめられた.この業績により,1915年父とともにノーベル物理学賞を受賞.1919年マンチェスター大学教授,1937年国立物理学研究所所長,1938~1953年ケンブリッジ大学教授兼キャベンディッシュ研究所所長となり,イギリスにおけるX線結晶学の指導的な役割を果たした.
イギリスの物理学者.ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで数学を学び,1885年数学トライポス(優等試験)を第一等級で合格し,優等学位を得る.オーストラリアのアデレード大学(1885~1909年),イギリスのリーズ大学 (1909~1915年),ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ(1915~1923年) の各教授を経て,1923年ロイヤル・インスティチューション教授に就任し,Davy-Faraday研究所所長となった.息子W.L. Bragg(ブラッグ)とともにX線回折に関するブラッグ条件を導き(1912年),X線分光器を考案する(1913年)など,X線結晶学の創始者の一人である.父子はこれらの研究業績により,1915年ノーベル物理学賞を受賞.アデレード時代の業績である,α粒子に関するブラッグ曲線(1904~1907年)も有名である.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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…このほかラマン分光,マイクロ波分光,光電子分光などの手法も,主として物理化学実験室で利用されるようになった。 一方,W.H.およびW.L.ブラッグ父子が確立した結晶のX線構造解析法は無機化合物のみならず,構造が複雑な有機化合物,生体分子へとその対象を拡張していった。ペルツMax Ferdinand Perutz(1914‐ )とケンドリューJohn Cowdery Kendrew(1917‐97)によるヘモグロビンなどの構造解明(1958),ホジキンDorothy Crowfoot Hodgkin(1910‐94)によるステリン,ペニシリン,ビタミンB12などの精密構造解析は,この分野での発展の一例にすぎない。…
…ラウエはさらに,回折の条件として,ラウエ条件を定式化し,結晶中の原子間隔,X線の波長,入射方向,回折線の現れる方向の間の関係を導いた。一方,W.L.ブラッグは,結晶によるX線の回折は,原子の並んだ面での波の反射によるものという考えを直観的に抱き,それを写真にとって実証するとともに,この考えに基づいてX線回折の条件としてブラッグ条件と呼ばれる式を提出した。この条件はラウエ条件とまったく同等のものであるが,ラウエ条件よりはるかにわかりやすい表現形式をとっている。…
…このほかラマン分光,マイクロ波分光,光電子分光などの手法も,主として物理化学実験室で利用されるようになった。 一方,W.H.およびW.L.ブラッグ父子が確立した結晶のX線構造解析法は無機化合物のみならず,構造が複雑な有機化合物,生体分子へとその対象を拡張していった。ペルツMax Ferdinand Perutz(1914‐ )とケンドリューJohn Cowdery Kendrew(1917‐97)によるヘモグロビンなどの構造解明(1958),ホジキンDorothy Crowfoot Hodgkin(1910‐94)によるステリン,ペニシリン,ビタミンB12などの精密構造解析は,この分野での発展の一例にすぎない。…
※「ブラッグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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