ブラッグ(読み)ぶらっぐ(英語表記)Sir William Henry Bragg

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラッグ」の意味・わかりやすい解説

ブラッグ(Sir William Henry Bragg)
ぶらっぐ
Sir William Henry Bragg
(1862―1942)

イギリスの実験物理学者カンバーランドのウェストワードの生まれ。ケンブリッジのトリニティ・カレッジに学び、主として数学を修めた。1886年オーストラリアアデレード大学の数学および物理学教授に就任、1909年に帰国してリーズ大学教授、1915年よりロンドン、ユニバーシティ・カレッジ教授を経て1923年以降王立研究所長を務めた。

 1904年、放射性物質からの放射線と物質の相互作用に関する実験的研究を始め、まずα(アルファ)粒子の飛程と物質のα粒子に対する阻止能の研究で認められた。ついで、γ(ガンマ)線やX線が物質性をもつ粒子からなるという仮説に基づいて、各種放射線の電離現象を研究し、X線の粒子的特性を実験的に導き、X線をエーテル・パルスと考えるバークラと論争を行った。この間にアインシュタイン光量子説を知り、γ線やX線と光との共通性を考察するようになる。1912年にラウエが結晶によるX線回折に成功すると、ただちに追実験を行い、息子ローレンス・ブラッグがこの現象を結晶格子面による反射と考えて「ブラッグの法則」を導き、一方、彼は最初のX線電離分光計をつくり、X線反射スペクトルの定量測定を可能にして、父子が共同してX線による結晶構造解析の方法を確立していった。彼は同時にいくつかの特性X線波長を決定して、X線領域における光量子説を確証した。これらの功績によって1915年ノーベル物理学賞を息子とともに受賞した。第一次世界大戦中は一時、水中音波探知などの戦時研究に従事したが、その後、結晶構造解析の研究に戻り、有機化合物の結晶に研究分野を広げた。王立研究所長時代には同じ分野の優れた研究者を多く育て、のちの生体物質の構造解明の基礎をつくった。著書には専門書のほかに、クリスマス講演に基づいた『音の世界』(1920)などの優れた啓蒙(けいもう)書がある。1935年から1940年まで王立協会会長を務めた。

[川合葉子]


ブラッグ(Sir William Lawrence Bragg)
ぶらっぐ
Sir William Lawrence Bragg
(1890―1971)

イギリスの物理学者。W・H・ブラッグの長男で、オーストラリアのアデレードに生まれる。同地の大学に入学したが、1909年父の転任に伴ってイギリスに渡り、ケンブリッジのトリニティ・カレッジに入った。1912年卒業してすぐにラウエの結晶によるX線回折の論文に接し、その解析方法に疑問をもち、「ブラッグの法則」を導いた。引き続いて父とともにアルカリハライド結晶を手始めとしてX線による定量的な結晶構造解析の手法を確立し、1915年父とともにノーベル物理学賞を受賞。以後もケイ素化合物、合金、生体物質などの解析に次々と取り組み、化学や鉱物学など多くの分野に貢献した。1919年マンチェスター大学教授、1937年国立物理学研究所長、1938年キャベンディッシュ研究所長を歴任、1954年から1966年まで王立研究所長を務めた。

[川合葉子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブラッグ」の意味・わかりやすい解説

ブラッグ
Bragg, Sir William Henry

[生]1862.7.2. カンバーランド,ウィグトン
[没]1942.3.12. ロンドン
イギリスの物理学者。キング・ウィリアム・カレッジおよびケンブリッジ大学に学んだ。オーストラリアのアデレード大学の数学・物理学教授 (1885) 。帰国後,リーズ大学教授 (1909) ,ロンドン大学教授 (15) を経て,王立研究所教授 (23) 。デービー=ファラデー実験所所長 (25) 。ロイヤル・ソサエティ会長 (35~40) 。 1904年以来,放射線の実験的研究に着手し,α粒子の電離作用に関してブラッグ曲線を得た。 M.ラウエの研究に示唆を受けて,12年結晶によるX線の回折現象を息子の L.ブラッグとともに研究し,ブラッグの条件を得た。さらに翌年X線分光器を開発し,結晶物理学に大きく貢献した。 15年息子とともにノーベル物理学賞を受けた。

ブラッグ
Bragg, Sir (William) Lawrence

[生]1890.3.31. オーストラリア,アデレード
[没]1971.7.1. イプスウィッチ
イギリスの物理学者。 W.H.ブラッグの息子。アデレード大学で学び,さらにケンブリッジ大学に学んだ。同大学のトリニティ・カレッジ講師 (1914) ,マンチェスター大学物理学教授 (19) ,国立物理学研究所所長 (37) を経て,ケンブリッジ大学の実験物理学教授 (38) 。王立研究所所長 (54) 。ケンブリッジに在学中,父とともに結晶によるX線回折を研究し,1915年ノーベル物理学賞受賞。受賞後もこの方面の研究を続けるとともに,科学知識の普及にも努めた。

ブラッグ
Bragg, Braxton

[生]1817.3.22. アメリカ,ノースカロライナ,ワシントン
[没]1876.9.27. アメリカ,テキサス,ガルベストン
アメリカ南北戦争期の軍人。南部連合の将軍として,1863年テネシー軍団を率いてチカモーガで W.ローズクランスの率いる北軍を粉砕し,チャタヌーガに北軍を包囲した。しかし北軍の増援部隊の到着によりチャタヌーガで敗れて解任されたが,J.デービス南部連合国大統領の軍事顧問に任じられた。 64年 W.シャーマンのジョージア進軍を阻止しようとして失敗,65年降伏した。

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