第1次大戦後のドイツ賠償問題に関し,ドーズ案に代わって作成された賠償支払計画案。アメリカの実業家ヤングOwen D.Young(1874-1962)を長とする専門委員会により1929年6月立案され,若干の変更のうえ翌年1月ハーグ会議で採択された。これにより賠償総額は1320億金マルクから358億金マルクに減額され,ドイツの支払能力の範囲内で58ヵ年間の年賦方式がとられた。また国際為替を安定させ,ドイツ・マルクと他国通貨の兌換を容易にさせ,連合国の監督機関も廃止され,国際決済銀行制度が設置され,さらに連合国が保証占領していたラインラントからの撤兵が約束された。しかし,世界恐慌の影響下でこの賠償案も実施困難になり,フーバー・アメリカ大統領のモラトリアムで支払が1年間停止された。さらに32年ローザンヌ会議で賠償額は30億金マルクにまで減額される。しかし翌年ナチス政権成立により賠償に関する取決めのいっさいが破棄された。
執筆者:進藤 榮一
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ドーズ案にかわるものとして、アメリカのヤングOwen D. Young(1874―1962)らの立案をもとに1930年ハーグ賠償委員会で採択された、ドイツの賠償支払い計画。ドーズ案の年次金25億金マルクに対し、当面30年度を17億マルクと低減し、また年次金の期限を87年度までとして、賠償問題の最終的解決を目ざした。また、この案の成立によって、ラインラント占領、ライヒスバンクなどの国際監視が解かれ、ドーズ案では不完全であったドイツ賠償支払いの完全な商業化が計られた。しかし、この案成立時に始まった世界大恐慌がドイツからの外資流出を促したため、同案の実施は1年にして不可能となり、32年ローザンヌ会議で廃棄された。
[紀平英作]
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第一次世界大戦後のドイツへの賠償支払案。1924年成立のドーズ案は5年間の暫定案であったため,29年2月アメリカの実業家ヤングを長とする専門家委員会が組織され新案が作成された。内容は,総額1139億マルクを年利率5.5%で,1988年までの59年間にわたって分割支払いするというもので,最初の37年は年額20.5億マルク,その後はさらに減額することになっていた。ドイツ国家人民党(DNVP)とナチ党は「ドイツ国民を奴隷化する」として激しい反対闘争を展開したが,世界恐慌をへてローザンヌ会議で正式に廃止された。
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…1923年にフランスは賠償問題を理由にベルギーとともにルール地方を占領し,ドイツの分離主義者を扇動してライン共和国を成立させ緩衝地帯にしようとしたが失敗し,24年のドーズ案の成立により撤退した。29年のヤング案の成立により連合軍がライン川左岸の占領地から撤兵した後,ナチス政権下における35年1月13日の住民投票により再びドイツに復帰し,36年3月7日にナチス政権は再武装を宣言して進駐した。 第2次大戦後45年にライン州はイギリス,アメリカ,フランスの占領地域に分割され,ザール地域(ザールラント)は拡大されて独立し,フランスの関税,経済領域に併合された。…
※「ヤング案」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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