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ヤーン Jahn, Friedrich Ludwig

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヤーン
Jahn, Friedrich Ludwig

[生]1778.8.11. ランツ
[没]1852.10.15. フライブルク
ドイツの教育者,愛国者。体操の指導者,体育クラブ運動の創始者で「ドイツ体操の父」と呼ばれる。 1806年ナポレオン戦争に従軍。 09年ベルリンで中学教師となり,以後体操を通じてナポレオン支配下のプロシアの若者のモラル回復をはかった。ドイツで初めての野天体操場をベルリンに建設,従来の体操 Gymnastikに愛国教育活動を結びつけたトゥルネン Turnenと称する運動形式を考案し,鉄棒,あん馬などの器械運動を取入れ,青年体操家の育成にあたった。 13年解放戦争が始るとブレスラウでルッツオー軍団結成に参画,その大隊長として従軍。戦後再びベルリンで体操教育に尽力。民主主義的傾向をもち,しばしば反動派と衝突し,19年に逮捕されて6年間投獄され,その後も警察の監視下におかれた。 40年プロシアのフリードリヒ・ウィルヘルム4世即位により解放され,鉄十字勲章を授与され,48年フランクフルト国民議会議員。『ドイツの国民性』 Das Deutsches Volkstum (1810) などを収めた全集 Gesammelte Werke (84~87) がある。

ヤーン
Jahnn, Hans Henny

[生]1894.12.17. ハンブルク
[没]1959.11.29. ハンブルク
ドイツの小説家,劇作家。一流のオルガン製作者として生涯にわたって 100以上のオルガンを製作するかたわら創作に従事。フロイトと表現主義の影響下に,戯曲『エフライム・マグヌス神父』 Pastor Ephraim Magnus (1919) ,『メデイア』 Medea (26) ,小説『ペリュージャ』 Perrudja (29) などで一貫して精神に優越するものとしての本能を重視し,キリスト教的モラルに対する批判をテーマとし,近親相姦など,大胆な描写で性の問題を追求した。平和主義者としての信念から第1次世界大戦中はノルウェーに,第2次大戦中はスイス,デンマークに亡命。代表作は膨大な3部作の小説『岸辺なき川』 Fluss ohne Ufer (49~61) 。

ヤーン
Jerne, Niels Kai

[生]1911.12.23. ロンドン
[没]1994.10.5/7. カスティージョ・デュ・ガール
イギリス生れのデンマークの免疫学者。イギリスの国籍ももっていた。両親はデンマーク人。オランダのライデン大学卒業後,デンマーク国立血清研究所の研究員となる (1943~55) 。コペンハーゲン大学より博士号取得 (1951) 。世界保健機関の主任医務官 (56~62) ののち,スイスのバーゼル免疫学研究所の創設に尽力,所長もつとめた (69~80) 。免疫学の重要な理論を次々に提唱,1974年に発表したネットワーク説で,抗原と抗体の相互作用を通じて免疫系全体がどのように調節されているかを説明した。 C.ミルシュタイン,G.ケーラーとともに 84年ノーベル生理学・医学賞を受賞。

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デジタル大辞泉の解説

ヤーン(Friedrich Ludwig Jahn)

[1778~1852]ドイツの体育家。今日の器械体操の基礎を築き、ドイツ体育の父といわれる。著「ドイツ体育論」。

ヤーン(yarn)

紡いだ織物・編み物に用いる系。

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百科事典マイペディアの解説

ヤーン

ドイツの体育指導者。各種の器械体操を創案してドイツ体操の父と呼ばれる。その標語〈新鮮に,敬虔に,楽しく,自由にFrisch,Fromm,Froh,Frei〉は4F運動として今もドイツに信奉者が多い。
→関連項目鉄棒跳び箱

ヤーン

ドイツの劇作家小説家。第1次大戦を忌避してノルウェーにのがれ,その後オルガン製作者として成功。ナチスの時代はデンマークに亡命。《盗まれた神》(1922年)などの戯曲があり,小説は表現主義の傑作とされる《ペルージャ》(1929年)や未完三部作《岸辺なき流れ》など。

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世界大百科事典 第2版の解説

ヤーン【Friedrich Ludwig Jahn】

1778‐1852
トゥルネンTurnen(ドイツ体操)の創始者。各地の大学で神学などを学ぶかたわら,大学にはびこる同郷人的集団等による決闘などの悪習を批判した。ナポレオン占領下で愛国的な《ドイツ民族性》(1810)を書く。1811年ベルリン郊外のハーゼンハイデに運動場を開設し,ドイツの解放を目指してトゥルネンと呼ばれる身体運動中心の愛国的青少年教育を行う。13年の対仏解放戦争にはトゥルネンに参加した若者と義勇軍に加わって参戦。

ヤーン【Hans Henny Jahnn】

1894‐1959
ドイツ表現主義の劇作家,小説家。ハンブルク近郊に生まれ,高校卒業後第1次大戦に反対の意思を示すためノルウェーに亡命。亡命中に書いた一連の戯曲中《牧師エフライム・マグヌス》(1919)によりクライスト賞を受賞した。20年代に長編小説《ペルージャ》(1929)を書く。またオルガン製作および演奏活動のかたわら信仰結社〈ウグリノUgrino〉を組織した。第2次大戦中はデンマークに亡命,大作《岸辺なき流れ》3部作(1949‐61)を書きついだ。

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大辞林 第三版の解説

ヤーン【yarn】

糸。織物用の糸・編み物用の糸など。

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世界大百科事典内のヤーンの言及

【体操】より

…この時点ではまだ徒手体操も器械体操も考えられておらず,視覚や聴覚などの感覚訓練をも含む広義の身体運動を体操と考えていた。今日の体操競技に発展した器械体操は,F.L.ヤーンによって考案されたものであるが,彼は体操ということばをギムナスティクGymnastikからトゥルネンTurnenに改め,統一ドイツ国家を建設するための青少年教育の意味で用いた。したがって,その内容には運動技術の習熟や意思の鍛錬を目的にした器械体操や行軍ばかりでなく,フォークダンスや政治討論集会なども含まれており,今日の体操の概念とはかなり異質なものを含んでいた。…

【鉄棒】より

…英語ではホリゾンタル・バーhorizontal bar(水平棒)という。近代的な体操の創始者の一人とされるドイツのF.L.ヤーンが,1812年にハーゼンハイデの体操場に設置したレックReckが,その原型とされる。レックは太めの木製の丸太棒で,懸垂や上がり方や回り方や下がり方などの技が生み出された。…

【ドイツ体操】より

…体操は古代ギリシア以来英語にすればgymnasticsだが,ドイツで19世紀以降行われた体操はトゥルネンTurnenと呼ばれた。これは,ナポレオンに支配されたドイツの解放運動の一環としてF.L.ヤーンが始めた身体運動中心の青少年教育活動である。ベルリン郊外のハーゼンハイデに運動場を開設(1811)したヤーンは,伝統的な運動や遊戯のほかに鉄棒,平行棒などを加え,練習方法も自由な種目を行う時間と規定された運動をする時間に分けるなど工夫し,多面的な運動による愛国教育を行った。…

※「ヤーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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