ドイツの免疫学者。ミュンヘンに生まれる。フライブルク大学で生物学を学び1971年に卒業、免疫学に興味をもち、スイスのバーゼル研究所で酵素β‐ガラクトシダーゼの免疫学的研究を行った。1974年フライブルク大学で博士号を取得し、同年にケンブリッジ大学分子生物学研究所の研究員となった。1976年バーゼル研究所に移り、1985年にはフライブルクのマックス・プランク免疫学研究所の所長に就任した。
ケンブリッジ大学時代にミルスタインのもとで研究生として学び、やがて共同研究を行うようになった。彼らは、骨髄腫(こつずいしゅ)細胞とリンパ球とを細胞融合して抗体分泌(ぶんぴつ)細胞系をつくりだし、それが分泌する抗体がモノクローナル抗体(特定の抗原にのみ反応する単一の抗体)であることを発見し、1975年に発表、その後大量作製法を考案した。モノクローナル抗体は、細胞内の微量物質の検出や局在性を調べるのに有効であり、病因の探求や治療に広く応用されている。1984年、ミルスタインとともにノーベル医学生理学賞を受賞、「免疫系の発達と制御の特定性に関する理論」を確立したヤーンも同時に受賞した。
[編集部]
『石田寅夫著『ノーベル賞からみた免疫学入門』(2002・化学同人)』
ドイツの心理学者。ゲシュタルト心理学派の代表者の一人。エストニアのリバルに生まれる。ベルリン大学のシュトゥンプの弟子。ゲシュタルト心理学の出発点となったウェルトハイマーの運動視の研究には、コフカとともに被験者としても協力した。『類人猿の知恵試験』(1917)では、動物が試行錯誤法によらず洞察によって学習することを示した。また、『物理的ゲシュタルト』(1920)では心理的現象と物理的現象の同型説を主張し、まもなくベルリン大学の教授となる。ナチスによるゲシュタルト心理学者の迫害と戦い、1934年アメリカに亡命、図形残効などについて研究するとともに、ゲシュタルト心理学の紹介に努めた。『ゲシュタルト心理学』(1929)は優れた解説書である。
[宇津木保]
『宮孝一訳『類人猿の知恵試験』(1962・岩波書店)』
ドイツの政治家。2004年7月、大統領に就任した。2月22日、ドイツ占領下のスキエルヴィツォフ(現ポーランド南東部)で、農家の第7子として生まれた。西ドイツ(当時)のチュービンゲン大学で経済学、政治学を学び、卒業後は同大学の経済研究所助手になった。1976年に西ドイツ経済省に移り、学者から官僚に転進した。1981年にキリスト教民主同盟(CDU)に入党している。
その後、シュレスウィヒ・ホルシュタイン州首相府勤務を経て、1990年に西ドイツ財務省次官となり、東ドイツと西ドイツの通貨同盟をめぐる条約交渉や、マーストリヒト条約交渉などに携わった。1998年から2年間、ヨーロッパ復興開発銀行総裁を務め、2000年から2004年3月まで国際通貨基金(IMF)専務理事。2004年5月のドイツ大統領選挙で、野党の保守・中道陣営の推薦を受け立候補して当選、同年7月に第9代ドイツ連邦大統領に就任した。大統領受諾演説で、「私が愛するドイツが21世紀も確固たる地位を獲得できるよう貢献したい」と抱負を述べ、優先事項に社会制度改革などをあげた。2010年5月、海外派兵をめぐる発言の責任をとり辞任した。
[土生修一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ドイツの心理学者。1909年ベルリン大学で学位を得た後,フランクフルト大学でウェルトハイマーの助手をつとめ,ゲシュタルト心理学の創始者の一人となった。13年から20年まで大西洋のテネリフェ島で類人猿をはじめとした動物の知能の研究に従事。チンパンジーの問題解決行動から,状況の全体的把握や関係の直観的理解の重要性を見いだし,これを〈見通しEinsicht〉と呼んだ。その成果は《類人猿の知恵試験》(1917)にまとめられた。物理学者M.プランクに学んだケーラーはその豊かな物理学の知識をもとに,20年には物理現象にもゲシュタルト法則が適用しうることを主張し,同時に心理過程と脳の生理過程は同一であるという心理物理同型論を発表。34年アメリカに移るまで,ベルリン学派と呼ばれるゲシュタルト心理学の隆盛な一時期を築いたが,後年は図形残効の研究に力を注ぎ,終生理論家であると同時にすぐれた実験者でもあった。
執筆者:小川 俊樹
ドイツのルター派神学者。ハレ大学組織神学教授。ローテR.Rothe,トールック,ミュラーJ.Müller,ベックJ.T.Beck,ホフマンJ.C.K.von Hofmannの影響を受け,さらに信仰覚醒運動の影響も受けて,保守的信条主義とも急進的自由神学とも異なるいわゆる〈調停神学〉の立場に立った。その神学の中心は,宗教改革の根本原理である〈信仰義認〉であって,彼は弁証学の中でこの義認信仰の前提を,教義学の中でその対象を,倫理学の中でその実証を展開した。〈いわゆる史的イエス〉と〈歴史的・聖書的キリスト〉という彼の有名な区別は,信仰と歴史の問題で20世紀神学の先駆的役割を果たした。弟子の中には,ティリヒやシュニーウィントJ.Schniewindがいる。
執筆者:近藤 勝彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…1912年,ウェルトハイマーは仮現運動に関する実験的研究を発表したが,これがゲシュタルト心理学の誕生であった。ウェルトハイマーと,彼の実験の被験者となったケーラーとコフカの3人が,以後,当時の構成主義心理学に対して反駁(はんばく)を行い,この新しい心理学を樹立した。その主張の第1は,心理現象が要素の機械的結合から成るという〈無意味な加算的総和〉の否定である。…
…W.マクドゥーガルの本能論心理学も,精神の能動性を主張する学派の一つで,精神のあらゆる活動の推進力として生得的な本能を考えた。しかし,行動主義心理学ともっとも激しく対立したのはM.ウェルトハイマー,W.ケーラーらのゲシュタルト心理学であった。彼らは全体は部分の総和以上のものであると主張し,同一刺激が同一反応を引き起こすとする恒常仮定に反対し,連合心理学以来の要素主義,機械論を否定した。…
… W.ブントやE.B.ティチナーなど構成心理学の人々は,要素的な純粋感覚を仮定し,その総和と,それと連合した心像(以前に経験した感覚の痕跡)を加えたものが知覚であると考えた。しかしM.ウェルトハイマーやW.ケーラーなどゲシュタルト心理学の人々は,知覚を要素的な感覚に分けることは不可能で,むしろ直接的に意識にのぼるのはつねに,あるまとまった知覚であると考えた。例えばウェルトハイマーが1912年に発見した仮現運動の場合は,少し離れた2個の光点が順番に提示されると,静止した別々の光点には見えず一つの光点が動いているという運動印象だけが得られる。…
※「ケーラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加