百科事典マイペディア の解説
ユスティニアヌス[1世]【ユスティニアヌス】
→関連項目サン・ビターレ教会|プロコピウス|ベリサリオス|ローマ法
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[西洋]
銃砲所持,広い意味での武器携帯は,古代社会から今日に至るまでさまざまの規制の対象となっている。古代のローマやアテナイでは市中での武器携帯は禁止され,東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世は私人がかってに武器を製造し取引することを厳禁した。西ローマ帝国を復興したカール大帝も武器の常時携帯を禁止したが,中世を通じて多くの王令や勅令が公布されたことは,この禁止規定が十分に遵守されなかったことを物語っている。…
…キリスト教徒の皇帝が出現する4世紀以降には売春禁止令が出された。とくに6世紀初めのユスティニアヌスの法令は有名で,それは売春婦自体よりも仲介業者,娼家経営者の規制を目ざすものであった。彼はまた,売春婦の救護,更生にも熱心で,これにはもと売春婦であったという帝妃テオドラの意向が影響したとされる。…
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[地理的条件と民族・言語分布]
ビザンティン帝国の支配が現実に及んだ地域は,その時々の国際政治関係を反映して,時代とともに大きく変わったが(後述),領土が縮小した最後の数世紀を除けば,地理的自然条件を異にしたさまざまな部分から構成されていたことが大きな特徴としてあげられる。 テオドシウス1世死後のローマ帝国分治の際の東半分領土は,6世紀前半のユスティニアヌス1世の再征服の結果,ダルマティア北部からイタリア半島,シチリア,サルディニア,コルシカ,バレアレス諸島,アフリカ北岸,そして一時的にはイベリア半島南東部にまで及んだ。続くランゴバルド族の南下にもかかわらず,イタリア南部は,ノルマン人が進出する11世紀後半までビザンティン帝国支配下にとどまった。…
…しかし全体としては,イスラム世界のユダヤ教徒はその信仰を守りつつ,経済・文化の重要な担い手あるいは伝播者として活躍し,イスラム社会の発展に寄与することができた。
[ヨーロッパ・キリスト教社会とユダヤ教徒]
キリスト教世界のなかでもビザンティン帝国では,テオドシウス2世(在位408‐450)およびユスティニアヌス1世(在位527‐565)以来,ユダヤ教徒はいっさいの官職から排除され,キリスト教徒を農奴として用いることを禁じられ,事実上,農耕に従事することが不可能となった。さらにヘラクレイオス(在位610‐641)は彼らに対しキリスト教への改宗を強制するにいたった。…
…【吉武 成美】
[欧米諸国への伝播]
中国で始まった養蚕業がヨーロッパへ伝播したのは6世紀といわれる。ビザンティン帝国の歴史家プロコピウスによると,時の皇帝ユスティニアヌス1世が,ペルシアによって供給を阻まれた絹を確保すべく,552年2人のネストリウス派の修道士をアジアに派遣,彼らが蚕卵を竹筒の中に隠し持ち帰ったのが,養蚕業西伝の最初であるとされる。それはギリシア,シリア,小アジアなどに広まり,7世紀前半のアラブによるペルシア征服を機に,絹生産の西方伝播がさらに加速した。…
※「ユスティニアヌス[1世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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