中部ヨーロッパから北へ突き出た半島。デンマーク語ではユランと呼ばれ,日本で用いられるユトランドはJutlandの英独混用の読み方である。北海とバルト海(カテガット海峡)を分け,南限をアイザー(アイダー)川・キール運河線として地理学的には把握される。一般に,西部は砂礫質で潟湖などが連続し,東部は肥沃なローム平野と峡湾が発達し,対照をなしている。その南限線は811年にデーン人国家とフランク王国間で国境線と定められた線と一致し,ユトランド半島は元来デンマークの民族地域であった。1864年第2次スリースウィー(シュレスウィヒ)戦争におけるデンマークの敗北の結果,コンゲオー川以南のスリースウィー(南ユラン)を失った。1920年ベルサイユ条約に基づく住民投票の結果,スリースウィーの北部がドイツからデンマークに復帰したが,現在,かつてのスリースウィー公爵領の中央を,スキールベック川に沿って東西に国境線が引かれている(スリースウィー問題)。デンマーク部分は,面積2万9767km2,人口233万7866(1980)で,王国全体の面積の69%,人口の46%を占めるが,国内の後進地域となっている。半島北部中央に,デンマークの最高点イディング・スコウホイYding Skovhøj(標高173m)がある。
執筆者:村井 誠人
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中部ヨーロッパから北へ突き出た、北海とバルト海とを分ける半島。カテガット海峡を挟んでスカンジナビア半島南端部と対峙(たいじ)する。デンマーク語ではユランと発音される。ドイツ語名ユトラントJütland、英語名はジュトランドJutland。地理学的には南限をアイザー川‐キール(ノルト・オストゼー)運河線とし、それは811年にデーン人国家とフランク王国との間で決められた国境線とほぼ一致する。歴史的には、コンゲオー川以北を北ユランとよび、デンマーク王国領の一部をなし、以南を南ユランとよび、そこは王国から派生したスリースウィ(ドイツ語名シュレスウィヒ)公爵領であった。1864年以降、南ユランをデンマークは失ったが、1920年ベルサイユ条約による住民投票によって南ユラン北部地域が祖国に復帰して国境が画定された。その結果、南ユランの中央をスキールベック川に沿って東西に67.6キロメートルの長さの国境線が走り、半島内に、デンマーク、ドイツの2領土が存在する。デンマーク部分は、2万9776平方キロメートル、人口247万7860(2002)で、王国全体の面積の69%、人口の46%を占める。首都コペンハーゲンは半島東方のシェラン島にあり、半島部は国内の開発の遅れた地域である。
[村井誠人]
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…デンマーク語でダンマークDanmarkという。バルト海の入口を扼(やく)する483個の島とユトランド(ユラン)半島からなり,ヨーロッパ大陸に対し北欧諸国中の最南の地を占めるというその位置が,歴史上大きな意味を有する。北欧最初のキリスト教化,封建制度の一部導入(スリースウィー公爵領),北欧最初の宗教改革,19世紀のドイツとの民族的抗争,ナチス・ドイツの占領,NATO加盟,北欧最初のEC加盟という諸事項に,デンマークの地理的位置が決定的ともいえる要因として働いてきた。…
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