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ユトリロ ユトリロ Utrillo, Maurice

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ユトリロ
ユトリロ
Utrillo, Maurice

[生]1883.12.25. パリ
[没]1955.11.5. ダクス
フランスの画家。踊り子から画家となった S.バラドン私生子として生れた。ユトリロ姓はスペインの美術評論家 M.ユトリロにちなんだもの。若年でアルコール中毒にかかり,その治療の一助に母から絵を学んだ。

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デジタル大辞泉の解説

ユトリロ(Maurice Utrillo)

[1883~1955]フランスの画家。独学で、哀感に満ちたパリの下町を描いた。

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百科事典マイペディアの解説

ユトリロ

フランスの画家。モデル,画家のシュザンヌ・バラドン〔1865-1938〕の私生児としてパリに生まれる。少年時代からアルコール中毒で,酒癖から救い出すために1902年母が絵筆を与えたことがきっかけとなり,モンマルトルの風景を描く。

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世界大百科事典 第2版の解説

ユトリロ【Maurice Utrillo】

1883‐1955
フランスの画家。パリ生れ。モデルで画家だったバラドンの私生児。早くからアルコール中毒であったが,1902年酒をやめさせようとして母親が絵筆をもたせたのがきっかけとなり,ほとんど独習のまま,2~3年のうちに数百点もの作品を描く。その大部分はモンマルトルの風景であり,ピサロの影響が強いが,いわゆる〈白の時代〉(1908‐14)にいたって,確かな構成感覚のうちに都会生活の孤独と空虚を見据えた,彼としては最良の風景が描かれた。

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大辞林 第三版の解説

ユトリロ【Maurice Utrillo】

1883~1955) フランスの画家。独学で、画壇からも孤立しながら、灰白色の微妙な色調で哀愁に満ちたパリ風景を描き続けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ユトリロ
ゆとりろ
Maurice Utrillo
(1883―1955)

フランスの画家。私生児としてパリのモンマルトルに生まれる。母親は、ルノアールやドガやロートレックのモデルをつとめ、のちに自ら女流画家としてたったシュザンヌ・バラドンSuzanne Valadon(1865―1938)。1891年、スペイン人のミゲル・ユトリロがこの父なし子を戸籍上の養子とし、以来ユトリロの姓を名のる。しかし、絵を描き始めたときの画中の署名はモーリス・バラドンであり、モーリス・ユトリロと署名するようになっても、バラドンを表す「V」の字を最後に添えた。
 ユトリロは幼くして酒に魅入られ、飲酒の悪癖にはまり込む。銀行などに勤めても長続きせず、1901年アルコール中毒による衰弱のため療養所に送り込まれた。翌年、医者の忠告に従い、母親は飲酒から関心をそらせようとユトリロにむりやり絵筆をとらせた。以来、彼はパリ郊外やモンマルトルの街並みを独自の画法で描くことになる。03年から07年までは「モンマニー時代」とよばれ、当時彼の住んでいたパリ郊外のモンマニーの風景などが、厚塗りによる粗く暗い調子で一気呵成(かせい)に描かれた。そこには印象派の影響が認められる。やがて「白の時代」が到来する。彼は白い建物に熱中し、絵の具に漆食(しっくい)を混入して壁の感触を表現した。家々の薄汚いむき出しの壁、陰鬱(いんうつ)な場末の街、人けのない通り、よろい戸が閉ざされたままのホテル、そして教会堂などが、絵はがきや写真や記憶によりながらも、詩情豊かに描き出される。07年(ないし10年)ごろから14年ごろまで続いたこの「白の時代」こそユトリロの創造力が絶頂に達した時代で、飲酒癖は相変わらずだったが、彼の傑作のほとんどすべてがこの時期に生まれている。
 その後に続くのが「色彩の時代」であり、光沢のある色彩が用いられ、緑が強調される。しかし、それはまた衰退の時代の始まりでもあった。とりわけ晩年の25年間、健康は持ち直し、名誉を得、1935年にはコレクターの未亡人と結婚、生活も安定したが、その作品にはかつての緊張や生気はみられず、彼はもはや創造するためではなく、生産するための画家となった。ダクスに没。[大森達次]
『A・ヴェルナー解説、幸田礼雅訳『ユトリロ』(1981・美術出版社) ▽嘉門安雄解説『現代世界美術全集16 モディリアーニ/ユトリロ』(1971・集英社) ▽J・P・クレスペル著、佐藤昌訳『ユトリロの生涯』(1979・美術公論社)』

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世界大百科事典内のユトリロの言及

【バラドン】より

…フランスの画家。ユトリロの母親。リモージュ近郊のベシーヌ生れ。…

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