ユニバーシティ・カレッジ(英語表記)university college

大学事典 の解説

ユニバーシティ・カレッジ

今日,「大学」と標準的に表現されるカレッジユニバーシティが,イギリスアメリカ合衆国においてそれぞれ独自な歴史的変遷を経た結果,合成表現としてのユニバーシティ・カレッジは,異なる複数の意味内容をもつに至った。

[イギリスの様相]

イギリスでは,中世に起源をもつオックスフォードケンブリッジが,19世紀初期まで大学制度を独占していた。両校では,それぞれ20前後のカレッジが個別に資産を所有し,全寮制のもと教育訓練の中核を提供し,学位はその連合体としてオックスフォード,ケンブリッジのユニバーシティが授与した。19世紀前半,ロンドンに市民向けの大学が誕生したとき,その組織編成は教育専用の機関としての,世俗的なユニバーシティ・カレッジと宗教色の強いキングズ・カレッジ(イギリス),学位授与機関としてのロンドン大学(イギリス)(1836年設立)という,独立した3機関に落着した。ユニバーシティ・カレッジはキングズ・カレッジと同じく大学修了に向けて学生を教育するが,学位の取得にはロンドン大学による試験の合格と学位授与とを待たねばならなかった。ユニバーシティ・カレッジは学位授与権を志向しつつも,しかしカレッジの機能以上は果たさない準大学を意味したのである。

 19世紀後半,ロンドン大学に続いて各地に設立された市民大学(イギリス)は,ユニバーシティ・カレッジとして発足した。ロンドン大学による試験の合格なしには学位取得が不可能だったため,こうしたユニバーシティ・カレッジは入学条件からカリキュラム,組織の運営形態まで著しく類似する結果となった。同一水準の達成への貢献とも評価できるが,他方,個々の特色の抑圧にも繫がった。1900年以降はバーミンガム等の数校が学位授与権をもつ大学として相次ぎ認可され,他のカレッジも第2次世界大戦後までには同様な認可を完了した。1945年以降の新設校の認可は学位授与権が伴い,ユニバーシティ・カレッジの存在理由は消失した。

 第2に,ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(イギリス)は,現代のイギリスを代表する大学の固有名詞である。既述のように,19世紀前半にロンドンの大学体制が確立した際,ユニバーシティ・カレッジは学位授与権を欠く一教育研究機関として出立し,19世紀前半はユニバーシティ・カレッジの名を独占した。その後,各地に多数のユニバーシティ・カレッジが登場したが,ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンは学位授与権獲得後もなお,ユニバーシティ・カレッジの嚆矢としてその名を固有名詞として留めている。なお,オックスフォード大学を構成する最古のカレッジの一つもユニバーシティ・カレッジの固有名詞をもつが,その名称の由来はロンドン大学設立以降の事情とは異なる。

[アメリカ合衆国の様相]

アメリカ合衆国の,イギリスとは異なるユニバーシティ・カレッジも,複数の意味に区別できる。前提として,合衆国では最初期のカレッジ(アメリカ)がすでに学位を授与しており,カレッジとユニバーシティの間にイギリスのような明瞭な区別がない点が重要である。19世紀初頭まで地域やキリスト教諸宗派に密着していたカレッジは,同世紀後半から20世紀初頭にかけて,一部はカレッジを中核に残し大学院や専門職向け大学院を付加して大規模大学へと拡大発展し,残余の多数は学士課程教育に専念する数百名規模のリベラルアーツ・カレッジへと自己限定した。大学生に加えて大学院生・専門職院生も担当する大学(ユニバーシティ)と,大学生のみを対象とするカレッジという垂直方向の分化が生じた。上記の2種のカレッジは,ともに教養重視の中で専門分野を訓練したが,大学内のカレッジは高度な研究と専門職教育を遂行する組織と関係者,巨大な研究施設や図書館と同居する点で,独立したカレッジにはないさまざまな可能性と問題点とを孕み,後者と区別して括るのが便利であった。こうした意味でのユニバーシティ・カレッジは,1930年代,コロンビア大学の学長ニコラス・マレイ・バトラーから現在まで広く用いられている。ハーヴァード・カレッジやコロンビア・カレッジが具体例にあたる。

 合衆国での第2の意味内容は,大学院への進学希望者を対象として高度な教育を実施するカレッジの一群である。デイヴィッド・リースマンによれば,大学院への進学が増大した1950年代後半以降に顕在化した100校ほどが,大きな大学の内部のカレッジ(上記のハーヴァードやコロンビアのカレッジを含む)と,独立した小規模カレッジ(カールトンやリード,アムハーストなど)の双方として全国に分布している。特定の地域や宗派と密接し,また学生への最終学歴の付与をめざしたそれまでのカレッジとは対照的に,地域や宗派を超えて全米の学術・専門職大学院への進学を視野に,教養も重視した専門教育に専念し,今や大多数のカレッジのモデルともなりつつある。大学院に重点を置く大学との接続関係を強調する点で,ユニバーシティ・カレッジを称する。

 以上のほかに,古くは創設期のシカゴ大学が企画した教員向け通常時間外の学位取得課程や,ミシガン大学が計画した学士2年課程など,ユニバーシティ・カレッジの名を冠した試みは数多いが,いずれも定着したとは言えない。
著者: 立川明

参考文献: Sir Jame Mountford, British Universities, Oxford University Press, 1966.

参考文献: D. リースマン,C. ジェンクス著,国弘正雄訳『大学革命―変革の未来像』サイマル出版会,1969.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ユニバーシティ・カレッジ
university college

イギリスの,学位授与権をもたない高等教育機関。医学,法学,工学,自然諸科学など近代的な諸学科を重視し,通学制によって,オックスフォード大学やケンブリッジ大学に入学できなかった中・下流階層の子弟に高等教育の機会を開いた。ユニバーシティ・カレッジで学んだ学生は,学位授与権をもった大学,特にロンドン大学の試験を受けて学位を取得した。ユニバーシティ・カレッジのなかにはブリストル大学やガーナ大学のように,発展をとげて学位授与権をもつ大学として承認されたものもある。

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世界大百科事典(旧版)内のユニバーシティ・カレッジの言及

【ロンドン大学】より

…ロンドンにあるイギリス最大の大学。1826年,急進主義者のH.P.ブルームJ.ミル,それに非国教徒が中心になって,ロンドンに宗教色のないユニバーシティ・カレッジが設立(1828開校)され,ついで28年,それに対抗して国教会によりキングズ・カレッジが設立(1831開校)された。この二つのカレッジは,イングランドに生まれた最初の市民大学で,中流階級の子弟を対象に,自然,社会,人文の各分野にわたる諸学科を幅広く教授し,この点で中世以来のオックスフォード大学ケンブリッジ大学とは著しい対照をなした。…

※「ユニバーシティ・カレッジ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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