ユンカー(その他表記)Junker

翻訳|Junker

デジタル大辞泉 「ユンカー」の意味・読み・例文・類語

ユンカー(〈ドイツ〉Junker)

ドイツ、東エルベ地方の地主貴族。大農場を経営するとともに、高級官僚・上級軍人を輩出、プロイセン支配階級を形成した。保守的、反自由主義的で、ドイツ軍国主義の基盤となった。ユンケル

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ユンカー」の意味・読み・例文・類語

ユンカー

  1. 〘 名詞 〙 ( [ドイツ語] Junker は、貴公子の意 )[ 異表記 ] ユンケル 一八~一九世紀のプロシア大土地所有の貴族。農奴制的支配の色彩の強い領主大農経営を行ない、また高級官吏・上級軍人を輩出した。専制君主と結んで、プロシア絶対主義を支える支配的階層を形成した。
    1. [初出の実例]「ドイツが貴族(ユンカー)の政治の成り立っている間に」(出典:現代国家批判(1921)〈長谷川如是閑〉一)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ユンカー」の意味・わかりやすい解説

ユンカー
Junker

東部ドイツの地主貴族に対する呼称。この言葉は本来〈貴族の若い子弟〉を意味する中世高地ドイツ語junchërreに由来するが,19世紀前半から,東エルベ(エルベ川東部,すなわち東部ドイツ)の保守的貴族に対する軽蔑の意味をこめた呼び名として広く用いられた。

 東エルベでは15~16世紀以来,農民の賦役労働を用いて輸出用穀物を栽培する大農場が栄え,これをグーツヘルシャフトといった。この農場所有者グーツヘルは封建領主として農民に対し警察権,裁判権などの政治的支配権をふるった。彼らは18世紀にプロイセン王国の貴族身分の中核となり,絶対主義国家の官僚・常備軍で指導的地位を占めた。フランス革命とナポレオンの大陸制覇はプロイセンの絶対主義を揺るがし,これを機に19世紀初めプロイセン改革が実施された。このときグーツヘルシャフトでは農民が解放されて人格上の自由を得,また賦役その他の封建的負担も有償廃棄された(農民解放)。この改革を通じて,19世紀半ばまでに,グーツヘルシャフトは資本主義的なユンカー経営に変質し,またユンカーの政治的特権も,1848年裁判権が,72年警察権が廃止された。しかし農場での地主と労働者の関係には農奴制のなごりがつきまとい,またユンカーは東エルベの地方自治体に君臨しつづけた。

 1866-71年のドイツ統一事業に対しユンカーは消極的であったが,この事業の推進者ビスマルクはユンカー出身の政治家で,彼がなしとげたプロイセンを中心とするドイツ帝国の建設は,ユンカーの政治的支配階級としての立場をむしろ強めた。ユンカーは宮廷や中央官庁,国防軍で強い勢力をもちつづけ,彼らの政党である〈保守党konservative Partei〉はプロイセンの保守勢力の中核となった。さらにユンカーの根強い身分意識と頑固な保守主義は新興の大ブルジョアの政治・社会意識にも影響を及ぼし,彼らを〈封建化〉させたといわれる。他方,多くは500~1000ha程度のユンカー農場の経営方法は概して時代遅れで,とくに19世紀末から穀物価格の下落が経営をいっそう苦しくした。穀物生産を主とするユンカー経営は政府の保護関税政策に頼るとともに,製糖業や火酒製造の副業に力を入れ,収入の増加に努めた。したがって工業化が進むとともにユンカーの経済的力は相対的に弱まり,この危機感が彼らの反動性をいっそう強めた。

 第1次世界大戦とドイツ革命は帝政ドイツを崩壊に導き,ユンカーの政治的立場も弱まったが,ワイマール共和国では土地改革が行われなかったため,地主としてのユンカーの地位は引き続き維持された。またユンカーは右翼政党,国家人民党を支持し,共和国と民主主義に終始敵対しつづけた。1933年ナチス政権の成立にあたっても,一部重工業資本家と並んで,ユンカー政治家がヒトラーの政権獲得を助けた。しかし第三帝国で,旧タイプの支配階級であるユンカーは概して冷遇された。45年,第2次大戦の敗北とともに東部ドイツはソ連占領下に入り,徹底した土地改革が行われたので,大土地所有は解体され,階級としてのユンカーも消滅した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユンカー」の意味・わかりやすい解説

ユンカー
ゆんかー
Junker ドイツ語

プロイセンの伝統的支配階級であった騎士領所有貴族の俗称。エルベ川以東の東部ドイツに領地をもち、そこにグーツヘルシャフトを発展させるとともに、18世紀以降軍隊と官僚の上層部を独占的に支配して政治的支配階級ともなった。19世紀初頭のプロイセン改革以後、領地経営は資本主義的な大農場経営(いわゆる「ユンカー経営」)に転換し、またグーツヘルシャフトに由来する身分特権も廃止されていくが、その後も地方はもとより中央の政・官界や軍部に勢力をもち続けた。政治的には保守主義の地盤となった社会層である。第二次世界大戦後、旧東ドイツの土地改革によって、その存立の基盤は完全に失われた。

 なお、ユンカーの語源は、古高ドイツ語のjuncherroで、貴族の若衆を意味したが、のちには軍隊や宮廷の役職名にも用いられた。プロイセンでは、ユンカーは「田舎(いなか)貴族」として多く蔑称(べっしょう)に用いられたが、ビスマルクのように自らそれを誇称した者もいる。

[坂井榮八郎]

『ハンス・ローゼンベルク著、大野英二・川本和良・大月誠訳『ドイツ社会史の諸問題』(1978・未来社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ユンカー」の意味・わかりやすい解説

ユンカー

本来は〈若い貴族〉の意。一般に,19世紀エルベ川以東の土地所有者であるプロイセンの貴族をさす。官僚や将校を輩出し,絶対王政の基盤となった。グーツヘルシャフトプロイセン改革によって変質したあと,これに続く19世紀東エルベの貴族の資本主義的な大農経営をユンカー経営と名付けることがある。19世紀後半のドイツ統一後は政治的立場を強め,ドイツ帝国ワイマール共和国時を通して,保守勢力の中心となった。
→関連項目貴族

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ユンカー」の解説

ユンカー
Junker

ドイツのエルベ川以東の地に多く存在した大地主貴族のことをいう。この地は元来ドイツ人の植民した所で大所領をもつ領主が多かったが,15世紀以降商業が発達すると領主は穀物商業により利益を得,周囲の農民の土地を合併して領地を拡大,グーツヘルシャフトを発展させた。またのちには領内に,てん菜や火酒などの工業をも経営した。このように有力な経済的地盤を持つユンカーは地方政治を掌握し,また18世紀以来プロイセン国家の上級官吏や軍人も独占した。この形勢は封建的領主支配が終わった19世紀においても変わらず,ドイツの主要政治家,軍人にはユンカー出身者の割合がきわめて大きかった。ヴァイマル共和国期においてその勢力は減じたが,なお有力な力をもち,ナチスの政権掌握にあずかって力があった。第二次世界大戦後はまったく消滅した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユンカー」の意味・わかりやすい解説

ユンカー
Junker

ドイツの若い貴族をさす高地ドイツ語 Junc-hêrreに由来する言葉で,近代に入ってからは,とりわけエルベ川東方の農場領主をさすにいたった。エルベ川東方では,15~16世紀に領主の直営地が拡大され,領主裁判権も強化されて,東方植民の当初には自由だった農民が農奴の地位に転落した。この領主をグーツヘルというが,ユンカーとはこのグーツヘルの俗称であり,19世紀にはプロシアの内政改革が問題となって以来一般化した用語である。東部ドイツ全般にみられるが,特にプロシアはユンカーが大きな勢力をもった国として名高い。 1807年の農民解放以後その実権に制約が加えられ,またブルジョアが領地を購入してユンカーに転化する傾向が増大したものの,プロシアの高級将校,高級官僚は彼らによって占められ,長い間プロシア社会の基幹をなし,その存在は 20世紀のドイツをも特色づけていた。 (→グーツヘルシャフト )

ユンカー
Junker, August

[生]1870.1.21.
[没]1944.1.5. 東京
日本で活躍したドイツのバイオリニスト,指揮者。ケルン音楽学校を卒業後,J.ヨアヒムに師事,シカゴ交響楽団員を経て,1899年東京音楽学校教授として来日,1912年までバイオリンとオーケストラを指導した。帰国後アーヘン音楽学校の教授となったが,34年再び来日し,日本の楽壇を育てた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ユンカー」の解説

ユンカー
Junker

ドイツのエルベ川以東に多く存在した大地主貴族
語源は貴族の若旦那(junger Herr)の意味だが,貴族一般の俗称として使われた。15世紀以降,西欧への輸出用穀物生産で利益を得,16世紀以降プロイセンでグーツヘルシャフト(農場領主制)を発展させた。その長子は農業労働者を使って農業経営を行い,その次男・三男はプロイセン,ついでドイツ帝国の高級官僚・高級軍人の地位を独占し,ドイツ国内の保守勢力となった。ヴァイマル(ワイマール)共和国とナチスの時代にもその勢力は無視できず,第二次世界大戦後,東ドイツの農業革命によって消滅した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のユンカーの言及

【ドイツ帝国】より

…しかし帝国宰相はたいていプロイセン首相を兼ね,帝国の行政もプロイセン行政に依存するところが多かった。さらに帝国とプロイセンを問わず,行政と軍隊の上層ではユンカー・貴族が勢力をふるいつづけた。このように強力で保守的な行政府に対し,立法府である帝国議会Reichstagは,普通選挙という民主的な基盤の上に立っていたが,その権限には種々制約が加えられ,また連邦参議院やプロイセン邦議会が並び立って,その役割の拡大を妨げていた。…

【ブランデンブルク】より

…ヨハンはさらに領土を広げる一方,国内ではフリードリヒ2世の貴族優遇政策を継承し,都市の地位をいっそう低下せしめた。
[ユンカーの台頭]
 こうして都市が経済的にも政治的にも没落する反面,ユンカーと呼ばれる地方貴族の勢力がめざましく台頭し,16世紀には所領の農民から土地を収奪して農奴制的な直営地経営(グーツヘルシャフト)を発展させた。ユンカーは辺境伯の財政難に乗じて,領主裁判権や免税権など大きな特権を獲得し,領邦議会でも領邦行政でも力をふるうようになった。…

【プロイセン】より

…ようやく〈大選帝侯〉フリードリヒ・ウィルヘルム(在位1640‐88)のとき,スウェーデン・ポーランド間の戦争(1655‐60)に乗じて,ブランデンブルクはポーランドからプロイセン公国における完全な主権を獲得し(1657),1660年のオリバOliva和約でこの主権はスウェーデン・ポーランド両国により承認された。 プロイセン公国でも,ブランデンブルクにおけると同様,16世紀以来ユンカー(地方貴族)の農奴制的な直営地経営(グーツヘルシャフト)が発展していた。しかし,ここではケーニヒスベルクをはじめとする自治都市の勢力も強く,ユンカーと並んで身分制国家の社会的基盤を形成する。…

※「ユンカー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android