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絶対王政 ぜったいおうせい

百科事典マイペディアの解説

絶対王政【ぜったいおうせい】

絶対王制とも。16―18世紀,封建制国家から近代国家への過渡期にヨーロッパに現れた政治形態。〈絶対主義〉もほぼ同じ意味で使われる。国王は中央集権的統治のための官僚と直属の常備軍を支柱とし,弱体化した貴族階級と資本の本源的蓄積期にあるため未発達な市民階級とを押さえ,無制約の権力を振るった。
→関連項目高等法院身分制議会身分制国家ユンカー

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世界大百科事典 第2版の解説

ぜったいおうせい【絶対王政 absolute monarchy】

ほぼ16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ諸国で,国王の権力が絶対的ともいわれるほど強力になったので,そのように強力な国王の支配する体制を絶対王政(または絶対王制)と呼び,イギリスのエリザベス1世やフランスのルイ14世などの治世がその代表的なものとされる。絶対主義absolutismというのもこれとほとんど同じ意味である。〈絶対〉という言葉はもともと,さまざまな拘束から解き放たれているという意味であり,したがって絶対王政の本来の意味は,国王がさまざまな国家機関や国法によって制約されることなく意のままに統治する体制,ということである。

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世界大百科事典内の絶対王政の言及

【古典主義】より

…1637年初演のP.コルネイユの悲喜劇《ル・シッド》をめぐるアカデミー側と作者側の規則論議(いわゆる〈ル・シッド論争〉)は,40年代のコルネイユ自身の〈規則にかなった悲劇〉(《オラース》《シンナ》《ポリュークト》)の制作と成功によって,実践の領域へと超えられていく。もっとも絶対王政成立にとって最も大きな試練であったフロンドの乱の前後には,リシュリューの後を継いだイタリア人の宰相・枢機卿J.マザランによるイタリア・オペラの導入をはじめ,バロック的なものが隆盛を誇る。1657年刊のドービニャック師François Hédelin,Abbé d’Aubignac(1604‐76)の《演劇作法Pratique du théâtre》は古典主義の規範文書となるが,それに対する反論としてコルネイユは3編の論考を書き(《劇詩論》《悲劇論》《三統一論》),実作者の立場から規則議論を活かそうとした。…

【ピューリタン革命】より

…ことに女王が〈中道〉政策をとって英国国教会を確立させ,また基幹産業である毛織物の市場を確保するためにスペインに対抗する政策をとり,1558年来襲したその無敵艦隊を撃退したことによって,国民の間に自信が高まっていた。しかるに絶対王政とはいうものの王権の側には常備軍ならびに地方統治にあたる有給の官僚組織をもたないという弱点があった。一方,宗教改革への協力を通して議会の庶民院はしだいに発言力を強め,議員の選出母体で治安判事として地方行政を担当していたジェントリー(ジェントルマン)層が貴族に代わって台頭してきた。…

【ヨーロッパ】より

…ブルジョアジーは,一方で,その商業活動により,国家に富をもたらすと同時に,他方では,その支配体制を整備・強化しようとする王権に,有能な行政官や司法官を供給することになる。こうして,新しい時代の要請のなかで,16世紀以来,ヨーロッパ諸国には,絶対王政の名で呼ばれる独特の国家体制が生まれる。 新大陸からの富を背景とするスペインをはじめとして,イギリスはばら戦争の内乱を克服してチューダー朝,次いでスチュアート朝の成立をみ,フランスもまたバロア朝末期,宗教戦争の激しい抗争を経て,ブルボン絶対王政を生んだ。…

※「絶対王政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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