ヨーロッパ難民危機(読み)よーろっぱなんみんきき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヨーロッパ難民危機」の意味・わかりやすい解説

ヨーロッパ難民危機
よーろっぱなんみんきき

中東や北アフリカでの紛争や内戦などを逃れ、ヨーロッパ(ここでは、ヨーロッパ連合(EU))にやってくる人々が2015年に急増し、EUの難民および国境管理に関する制度が危機的状況に陥ったこと。

 2015年の9、10月をピークに庇護(ひご)申請者数は減少するが、このころからEUの報告書などでも「難民危機」という用語が使われるようになる。庇護申請者のなかには、難民として保護されるべき者だけでなく、貧困から逃れるために移動してきた経済移民とよぶべき人々も含まれていた。そのため、これらの人々への対応をめぐり、EU加盟国間で対立が生じただけでなく、EUにおける庇護認定に関する規則(ダブリン規則)や国境管理に関する規則(シェンゲン規則)への不満や不信が高まることになった。

[柄谷利恵子 2018年6月19日]

「危機」の概要

歴史上、ヨーロッパ域内・域外に向かう人々の移動は繰り返されてきた。たとえば1990年代初頭、ユーゴスラビアの解体に伴い、70万人近くがやってきたことがあった。しかしそのときと比べても、2015年にヨーロッパ域内に入った人数は多かった。

 EUの統計局にあたるユーロスタット(Eurostat)によれば、2014年にEU加盟28か国で受け付けた庇護申請数は約63万であったが、2015年には130万を超えるまでに増加した。国連難民高等弁務官事務所UNHCR)の発表では、2015年の難民総数は全世界で2100万に上るという。この数に比べれば、130万という数字はそれほど大きくないかもしれない。しかし短期間に庇護申請数が急増したというだけでなく、ヨーロッパへの移動途中の地中海で何千もの人々が命を落とすという状況が生じた。さらにシェンゲン規則の加盟国間では、国境での検問を経ずに別の加盟国へ移動できるため、入国者の扱いをめぐって加盟国間の対立が激化することになった。結果として、1999年のアムステルダム条約発効以降、EUの共通政策化に向けて進められてきたシェンゲン規則およびダブリン規則に基づく枠組みに疑義が生じている。

 また、2015年の庇護申請者の約3割はシリア出身者であった。シリアを含め、中東や北アフリカからEUに向かう人々が使う移動ルートのなかでは、地中海をわたるルートがよく知られている。このルートの途上で船が難破し、命を失う者は後を絶たず、2013年10月には、地中海に浮かぶイタリアの小島、ランペドゥーザ島近くでおきた海難事故により、300人以上が命を落とした。このあと、イタリア政府およびそれを引き継いだヨーロッパ対外国境管理協力機関(フロンテックス)は地中海パトロールを実施していたが、2015年には、地中海ルートよりも安全にヨーロッパ域内に到着できる、いわゆるバルカンルートを利用してドイツを目ざす人の流れが急速に強まった。このルートの登場により、EU各国に危機的状況がもたらされることになった。バルカンルートは、トルコ経由でギリシアを通過し、バルカン半島諸国を通ってドイツへと続く。ルート上にある国々は、多くの人々にとっては目的国ではなく通過国である。また、これらの国々では庇護申請者を登録し収容・審査するための環境が整っていないうえ、そもそも中東および北アフリカからの難民の受入れに消極的であった。結果として、たとえばハンガリーでは、シェンゲン規則に基づき停止されていた国境検問が一時的に復活しただけでなく、隣国セルビアやクロアチアとの間にフェンスが設置される事態になった。さらにハンガリーを含めたバルカンルート上の国々は、EUが示した庇護申請者を分担して受け入れるという割当て案(2015年9月に発表)にも強固な反対姿勢を打ち出した。

 2016年に入り、EUはトルコとの間で、トルコからギリシアへの非正規移民流入対策を柱とする「EU・トルコ声明」に合意した。その結果、バルカンルートを通ってヨーロッパに向かう人数は減少していった。というのも、EU・トルコ声明により、トルコから非正規の方法でギリシアに到達した者をトルコに戻すかわりに、トルコにいるシリア人難民をEUに迎え入れることになったからである。さらにEUはトルコ国内にとどまるシリア人難民に対し、資金を含む人道援助を提供することになった。加えて2016年10月には、EU域内・域外の境界警備を強化するために、ヨーロッパ対外国境管理協力機関の権限が拡大され、ヨーロッパ国境沿岸警備機関と名称が改められた(略称はフロンテックスのまま)。それまでとは異なり、同機関のもとで設立されるヨーロッパ国境沿岸警備隊は独自の装備を保有する。これと加盟国の国境管理・警備当局の装備とを併用することで、短期間のうちに対外国境の業務を展開することが可能になった。

[柄谷利恵子 2018年6月19日]

「危機」の背景

2015年のヨーロッパ難民危機は、なぜ「危機」とよばれるまでに状況が悪化したのか。

 そもそも、中東や北アフリカからヨーロッパへと向かう人の流れが生じた背景には、2011年の「アラブの春」とよばれた民主化の動きとそれに伴う混乱がある。シリア内戦だけを取り上げても、2011年に始まったアサド政権と反体制派の内戦は、その後、イスラミック・ステート(イスラム国、IS)およびクルド人集団、さらにはそれぞれを支持する海外勢力も巻き込んで、いまや終わりがみえない状態にある。結果として、UNHCRの調べでは、2011年から2017年時点までに500万人以上の人々がシリアを離れた。最大の受入れ国はトルコで、2017年時点で約320万のシリア人が登録されている。加えて、シリア国内で避難民となっている者は600万人を超えている。シリアの人口は、2010年時点での国連統計によれば約2040万人なので、全人口の半数以上が国内外で避難していることになる。

 2010年以降、UNHCRが保護する難民および国内避難民が増えており、ヨーロッパに向かう人が増えたのも、そのような世界的な流れの一環といえる。さらには、ドイツがシリア難民の受入れに積極的な姿勢をみせたことも、ヨーロッパを目ざす人が増えた要因の一つにあげられる。

 ただし「危機」に陥った背景には、数の増加に加えて、EU加盟国間の対立が深まった結果、協調した対応が困難になったことがある。この対立は、大規模な人の流入によって生じた負担の不均衡をめぐり、激化した。その際に問題視されたのが、庇護申請に関するダブリン規則と加盟国間の自由な移動を定めるシェンゲン規則であった。

 1999年以降、EUは共通庇護政策の策定を目ざし、ダブリン規則に基づく枠組みづくりに着手している。原則として、難民としての庇護を求める者は、最初に到着したEU加盟国で庇護申請を行い、審査が実施されることになる。これは、大多数の人が最初に到着する国であるギリシアやイタリアの負担が、それ以外の国と比べて大きくなることを意味する。さらにはEU加盟28か国中22か国が加盟しているシェンゲン規則により、同規則の加盟国間は出入国審査なしで自由に往来ができる(シェンゲン規則もまた、1999年以降はEUの法制度に組み込まれている)。ギリシアやイタリアに入国した人々は、ダブリン規則に従いこれらの国々で庇護申請をしなくてはならないが、その後はシェンゲン規則のもとで、到着を希望するドイツやスウェーデンといった国へと国境検問を経ずに移動していく。当然、到着国だけでなく、その過程で通過する国々にも多大な影響が及ぶことになる。結果として、EUの理念を支える重要な制度であるシェンゲン規則およびダブリン規則に対する信頼が揺らぐことになった。

 さらに信頼の低化を招いたのが、2015年末からフランスやドイツで続発したテロ事件であった。これらの事件では、シェンゲン規則で認められている加盟国間の自由移動の権利を利用して、実行犯が移動していたことが明らかになった。移動する人々のなかにテロリストが含まれているかもしれないという懸念は現実のものとなり、国境検問の一時的な再導入および復活期間を延長する国が増えていった。シェンゲン規則の現状について、とくにバルカンルート上にある国々の間では、EUに繁栄や連帯をもたらすというよりは、安全保障上の脅威とみる傾向が強い。また近年、フランスの「国民戦線」(FN)や「ドイツのための選択肢」(AfD)といった反移民・反難民政策を訴える政党が支持を増やしている。シェンゲン規則を悪用した犯人によるテロ事件が続いたことにより、その原因をつくったEUに対する反発がいっそう高まることになってしまった。

[柄谷利恵子 2018年6月19日]

「危機」の本質

ヨーロッパ難民危機とは、一体なにが「危機」であったのか。なにを「危機」ととらえるかによって、「危機」への対応が異なる。

[柄谷利恵子 2018年6月19日]

中東・北アフリカにとっての「危機」

多くの報道や学界の論考をみると、大量の人の移動を前に、EUおよびEU加盟国における移民・難民関連の制度が危機的状況に追い込まれたことを取り上げている。しかし本来、歓迎されなくてもヨーロッパ(ここでは、EU)に向かわざるをえなかった人々が、生まれ育った地から離れる原因となった「危機」に目が向けられるべきである。当然のことながら、中東や北アフリカ地域における政治、経済の危機的状況が改善されなければ、ヨーロッパに向かう人の数は減らない。その「危機」に対してEUは、移動してくる人々の出身国や経由国との協力を深めるために、人道援助や開発援助としての資金を提供している(たとえば、アフリカのためのEU信託基金)。またフロンテックスは、対外国境での管理・警備業務だけでなく、密航斡旋(あっせん)の取締りや人身取引による被害者の救助も実施している。

[柄谷利恵子 2018年6月19日]

EUの制度の「危機」

一方、EUおよびEU加盟国は、庇護認定および難民保護、さらにはEU域内の人の移動にかかわる制度が「危機」に陥ったとみている。現実に、2015年にヨーロッパ域内にやってきた130万を超える人の規模に、ヨーロッパ共通政策の基盤となるシェンゲン規則およびダブリン規則は対応できなかった。もちろん、これらの規則に制度上の不備や限界があったことは確かである。しかしそのような規則上の問題が解決されたとしても、それだけでは「危機」はなくならない。

 その理由として、シェンゲン規則およびダブリン規則が前提とする、移民と難民の選別のむずかしさがあげられる。ヨーロッパ域内に入った130万人のなかには、難民として国際的な保護の対象となる者もいれば、経済的困窮を逃れてよりよい生活を求める者も含まれる。このように難民と経済目的の移民が入り交じった状態を「混合移動」とよぶ。混合移動の状態は、ひとりひとりの移動においてもみられる。ある者が移動を決意する際、紛争や迫害からの逃走のみが理由であったり、経済状況の改善のみが理由であったりすることは少ない。イギリス公共放送のBBCは、「ヨーロッパの移民危機Europe Migrant Crisis」という表題のもとでの一連の記事に、かならず「語句に関する注意」を明記している。そこでは、「BBCは庇護申請の審査過程が完了していないすべての者に対して、移民という語句を用いる。この集団のなかには、戦禍で苦しむ国(たとえばシリア)から逃げてきた、難民資格が付与される可能性が高い人々や、各国政府が経済移民と定義する、仕事やよりよい生活を求めて移動してきた人々が含まれる」としている。そもそも移動する人の集団に直面した際、「保護の対象となる難民」と「経済目的で移動する移民」との二つに選別して、それぞれに対応を分けることは非常に困難である。にもかかわらず庇護申請を受け付けた国は、申請を一つ一つ審査し選別することになっている。しかもEUの場合、各加盟国の選別基準に大きな差があれば、EUの連帯や協調という理念に疑義が生じかねない。2015年の難民危機の際も、ドイツの寛容な姿勢がバルカンルート上の国々との亀裂(きれつ)の要因となった。混合移動への対応はEUだけの問題ではない。移動する人をすべて受け入れることは、どの国においても現実的ではない。一方で、移動するすべての人を脅威とみなして拒絶することもありえない。

[柄谷利恵子 2018年6月19日]

EUの理念の「危機」

最後に、ヨーロッパ難民危機を経て、反移民・反難民や反イスラムを訴える政党の台頭、国内に人権問題を抱えるトルコへの非正規移民の送還、庇護申請者の分担受入れ計画に対する加盟国間の対立など、人道や人権といったEUが重視する理念の「危機」が懸念されている。フロンテックスの地中海での活動も、人命救助を名目とした水際での排除だと批判する者もいる。

 今後もヨーロッパに向かう人の流れは止まることはないであろう。その意味からすれば、今回のような「危機」は一過性のものではない。一般的に、「危機」は将来に向けた改革や変容の機会ともいわれている。そうであればこそ、今回の「危機」を単なる制度改革の機会とみるのではなく、EUが依拠してきた開放や寛容といった価値や理念が問い直される機会と理解すべきである。

[柄谷利恵子 2018年6月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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