翻訳|Leipzig
ドイツ東部、ザクセン州の商工業都市。1949~90年は旧東ドイツに属した。人口49万4800(2002)。ワイセ・エルスター川にプライセ川が合流する地点の標高109メートルに位置する。西エルベ褐炭田の真ん中に位置し、重機械、運輸機械、電気工業が主要な工業であるが、ほかに伝統的な製本・印刷業があり、出版の町としても知られる。春と秋の2回、国際工業見本市(メッセ)が開かれる。中世以来の伝統を引く市で、ロシアとの毛皮取引などで栄え、第二次世界大戦前には「世界に冠たるドイツ科学工業」といわれた高い水準を示すものとなった。現在も世界各地から取引関係者が多く集まる。市内の主要な建造物や文化施設としては、ライプツィヒの戦い(諸国民戦争、1813)の戦勝記念碑(高さ91メートル)、名門管弦楽団の会場として名高いゲバントハウス(織物会館)、バッハゆかりの聖トマス教会、1900年以来のドイツの出版物を集めたドイツ文庫などがある。ヨーロッパ最大の28本のホームをもつ中央駅は改装されて新名所となった。ライプツィヒ大学をはじめ、ドイツ地誌研究所、工科大学、製図図書大学、演劇大学、商科大学、音楽大学、体育大学などの高等教育機関も多い。
[佐々木博]
市名の史料上の初見は1015年、urbs Libzi(「菩提樹(ぼだいじゅ)の町」の意)と記されている。1156~70年にマクデブルク都市法を受容した。13世紀末には遠隔地との商業が発達し、市参事会が設けられ、市民自治が確立した。15世紀中ごろには南ザクセンやマンスフェルトの銅山の鉱産物取引地となり、1497年皇帝により年3回の歳市(有名な国際工業見本市の起源)の開設認可が与えられた。1409年チューリンゲン地方伯フリードリヒらの尽力によりライプツィヒ大学が設置され、1519年にはルターとエックの宗教論争(ライプツィヒ討論)の場となった。三十年戦争(1618~48)中、5回も包囲占領されたが、戦後、経済生活は急速に復興し、とくに17世紀末には楽器製造、楽譜出版、書籍出版などが導入され、大学の活況(たとえばゲーテの入学は1756年)と相まって、市の文化水準はとみに上昇した。バッハが聖トマス教会の合唱長として円熟した活躍を示すのもこのころであり、以来ライプツィヒは音楽の都ともなった。1813年には、ライプツィヒの戦いの戦場となったが、その後産業革命の導入によって市は大いに発展し、人口は1880年には30万、1914年には62万に達した。1863年ラッサールらがドイツ社会民主党の前身である全ドイツ労働者同盟を結成したのも当地である。
[瀬原義生]
東部ドイツ,ザクセンの都市。もとスラヴ人の居住地だったが,東方植民により10世紀前半からドイツの都市となった。12世紀に始まるこの市の大市は著名。1409年設立の大学でも知られる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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