翻訳|Lapland
ノルウェー,スウェーデン,フィンランドの北部およびロシアの北西隅にまたがるヨーロッパ最北部の地域で,大部分が北極圏内に位置する。
西側を南北にスカンジナビア山脈が走る。その西側はフィヨルド海岸となり,東側は比較的なだらかに傾斜する。フィンランドでは平地が多くなり,低地ではイナリ湖のような湖もある。スウェーデンの最高峰ケブネカイセ(2123m)とフィンランドの最高峰ハルティアトゥントゥリ(1324m)がそびえ,ノルウェーにはヨーロッパ最北端ノールカップ岬がある。夏の白夜と冬のオーロラが特徴的だが,フィンランド最北端ウツスヨキ村ヌオルガムでは,5月16日に昇った太陽は7月28日に沈む。また11月25日に沈んだ太陽は1月18日にならないと昇らない。寒帯気候だが,大西洋の暖流の影響で緯度のわりには暖かい。ヌオルガムで最も寒い2月の平均気温が-12℃,最も暖かい7月が11.8℃。しかし,ノルウェーの海岸は冬でも氷結しない。スウェーデンのキルナ地方は世界でも屈指の豊富な鉄鋼石を埋蔵しており,1630年代から鉱工業が興った。
出土品から,石器時代すでにラップランドに人が居住していたことがわかる。以前には,ラップ人は現在の居住地よりもっと南に住んでいた。とくにフィンランドではそうであった。1500年代,キリスト教がラップ人に伝えられ,ロシア国内のラップ人は東方正教徒に,他はルター派のプロテスタントになった。中世を通じて,ラップ人にはデンマーク・ノルウェー,スウェーデン・フィンランド,ロシアから重税が課せられた。それぞれの国の北方開発政策で,税金免除,徴兵緩和などにより,北部への移住が奨励され,ラップ人は北へ,あるいはフィヨルドの奥へと移住を余儀なくされた。現在,ラップ人のほうが多い村は,フィンランドではウツスヨキだけである。第2次大戦後,ソ連領になったペッサモから約400人のラップ人がフィンランドのセベッティヤルビに移ってきた。
魚とトナカイがラップ人の生活を支える重要な要素であることは昔も今も変りはないが,交通手段の発達や機械文明は,ラップ人の生活を変えている。コタと呼ばれるテントのような住居は新しい家に変わり,古い道具類は電気製品に変わっている。滅びゆくラップ文化保存のため,ノルウェーのトロムソとフィンランドのイナリにラップ博物館がある。雪上車は,トナカイが引くそりに乗っていたラップ人の生活を変え,観光客が多く訪れるようになると彼らが乗り回す雪上車は植物の若芽やトナカイの食料である地衣類を傷め,トナカイを追いかけたり,騒音をまき散らしてとくに出産時期のトナカイに損害を与えたりして,静かな北国に社会問題を引き起こしている。
執筆者:荻島 崇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
スカンジナビア半島北部、大半が北極圏に入るサーミ人(ラップ人)の居住地域。ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの4か国領にまたがる。西部は古い褶曲(しゅうきょく)山脈で、ケブネカイセ山(2123メートル)など、氷河を頂く高峰があるのに対し、その東方はボスニア湾やイナリ湖盆へと低くなる高原地帯である。北極海沿岸部は、その緯度のわりにはきわめて温暖で、一部には農牧業もみられるが、豊富な水産資源を目ざして早くから定住が進んだ。内陸高原地帯は寒冷なツンドラ(永久凍土帯)で、南ではマツ、カバなどが多くかつ大きくなる。サーミ人はトナカイ飼育、漁労、狩猟など、自給的な生活をしてきたが、現在では鉄鉱山や水力の開発、森林資源の工業利用や農業の浸透で、トナカイ遊牧などの伝統的生活様式は変化を強いられている。近代国家の国境に隔てられてはいるが、サーミ人の一体感は強く、各国政府は民族文化保護と地域開発の両立を迫られている。
[塚田秀雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…地形は太古の岩盤の等高線に従っている。国土の大部分は低地で,南南西から北北東に向かってしだいに高くなり,ラップランドの高原につながっている。最高点は北西隅のハルチャ山で標高1324m。…
※「ラップランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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