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ラフマニノフ ラフマニノフ Rakhmaninov, Sergei Vasil'evich

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラフマニノフ
ラフマニノフ
Rakhmaninov, Sergei Vasil'evich

[生]1873.4.1. ロシア,オネグ
[没]1943.3.28. アメリカ合衆国カリフォルニアビバリーヒルズ
ロシアの作曲家,ピアニスト,指揮者。貴族の家に生まれ,サンクトペテルブルグモスクワの音楽院でピアノと作曲を学んだ。1892年ピアニストとしてデビュー,1901年に自作の『ピアノ協奏曲第2番ハ短調』を弾いて名声を高めた。

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デジタル大辞泉の解説

ラフマニノフ(Sergey Vasil'evich Rakhmaninov)

[1873~1943]ロシアの作曲家・ピアノ奏者。ロシア革命を避けて米国に亡命。ロマン主義に貫かれた曲を書いた。作品に、4曲の「ピアノ協奏曲」など。

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百科事典マイペディアの解説

ラフマニノフ

ロシアの作曲家,ピアノ奏者。ノブゴロド近郊の没落貴族の家庭に生まれ,ペテルブルグとモスクワの音楽院に学ぶ。1917年のロシア革命後ストックホルムを経て渡米し,以後は欧米各地でピアノのビルトゥオーソ,指揮者として活動。
→関連項目変奏曲

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

ラフマニノフ

ロシアのピアニスト、作曲家、指揮者。苦学してモスクワ音楽院のピアノ科と作曲科を通常より1年早く卒業。特に作曲は大金章という最高成績を受けた。1892年、卒業後すぐに出版した前奏曲嬰ハ短調は、さっそく人 ...続き

出典|(社)全日本ピアノ指導者協会
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世界大百科事典 第2版の解説

ラフマニノフ【Sergei Vasil’evich Rakhmaninov】

1873‐1943
ロシアの作曲家。革命後は主としてアメリカに住んで,伝説的なピアニストとして比類のない名声を馳せた。作曲技法は保守的であるが,独自なロシア的哀愁に満ちた音楽は愛好者が多い。没落貴族の家に生まれ,両親の離婚もあって少年時代は苦労した。最初に学んだペテルブルグ音楽院では落第生であったが,1885年モスクワ音楽院に移り,N.S.ズベレフの厳しい指導を受けてピアノの名人技を身につけた。91年ピアノ科,92年作曲科(オペラ《アレコ》により金メダル大賞受賞)を卒業,幸せな創作生活に入った。

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大辞林 第三版の解説

ラフマニノフ【Sergei Vasil'evich Rakhmaninov】

1873~1943) ロシアの作曲家・ピアニスト。第二番が特に有名な四曲のピアノ協奏曲を作曲。革命後は主にアメリカに住んだ。作品は他に「パガニーニの主題による狂詩曲」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ラフマニノフ
らふまにのふ
Сергей Васильевич Рахманинов Sergey Vasil'evich Rahmaninov
(1873―1943)

ロシアの作曲家、ピアノ演奏者、指揮者。セミョノボの貴族の家に生まれる。ペテルブルグ音楽院を経て、モスクワ音楽院に学び、18歳でピアノ科、19歳で作曲科を卒業。そのころ作曲されたピアノのための『前奏曲嬰(えい)ハ短調』で名をあげ、ピアニスト活動も展開、自ら初演したピアノ協奏曲第二番ハ短調(作品18、1901)でグリンカ賞を得て名声を確立した。1904年から2年間ボリショイ劇場の指揮者となり、自作のオペラ『フランチェスカ・ダ・リミニ』を初演(1906)。06年ドレスデンに移り、そこで作曲した交響曲第二番ホ短調(作品27、1907)は二度目のグリンカ賞を受けた。09年アメリカに渡り、翌年までピアニストとして活躍し、ピアノ協奏曲第三番ニ短調(作品30)をニューヨーク初演(1909)。帰国後17年までモスクワを中心に活躍したが、この年、革命とともに祖国を脱出、18年からアメリカに定住して、この第二の祖国とヨーロッパ各地で演奏活動を続け、カリフォルニア州ビバリー・ヒルズに没した。この間の作品に、ピアノ協奏曲第四番ト短調(作品40、1926)、ピアノと管弦楽のための『パガニーニの主題による狂詩曲』(1934)がある。
 ラフマニノフの作風は、チャイコフスキーなど19世紀音楽に範を求めたロマン的色彩に終始貫かれており、新しさや深みに欠ける反面、情緒的な旋律は広く親しまれている。ピアニストとしても、ロシア楽派の重鎮として大きい足跡を残した。[船山信子]
『N・バジャーノフ著、小林久枝訳『ラフマニノフ――限りなき愛と情熱の生涯』(1975・音楽之友社)』

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