アメリカのプロ野球選手(右投右打)。本名Manuel Aristides Ramirez Onelcida。大リーグ(メジャー・リーグ)のクリーブランド・インディアンス、ボストン・レッドソックスで外野手としてプレー。レッドソックスでは、ノマー・ガルシアパーラ(ロサンゼルス・ドジャース)やデービッド・オルティースとともに打線の中軸を支えてきた。「打点製造機」の異名をとるほど好機に強いのが特徴である。
5月30日、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴで生まれる。ジョージ・ワシントン高から1991年、ドラフト1巡目(全体13番目)指名を受けてインディアンスに入団、マイナー・リーグのルーキー級でいきなり本塁打王と打点王に輝き、注目を集めた。1993年に大リーグへデビューし、翌年から定着、1995年に打率3割8厘、ホームラン31本、打点107の好成績をあげてクリーン・アップに組み込まれた。その年インディアンスは41年ぶりとなるリーグ優勝を果たし、以降5年連続して地区優勝を遂げた。その間、1997年を除いて毎年打点100以上をマークし、99年には試合数を上回る打点165で打点王のタイトルを獲得、同年から新設された、リーグの最優秀打者に贈られるハンク・アーロン賞にも選ばれた。FA(フリーエージェント)となって2001年にレッドソックスへ移籍、02年は打率3割4分9厘で初の首位打者にも輝いた。2003年も3割2分5厘の好打率を残し、04年はホームラン43本で本塁打王を獲得、130打点をあげてチームのワールド・シリーズ進出に貢献、2回目のハンク・アーロン賞を受賞した。さらに、86年ぶりに優勝したワールド・シリーズでは打率4割1分2厘で最優秀選手(MVP)に選ばれた。2005年は自己ベストのホームラン45本を打つが、06年は膝(ひざ)の故障でホームラン数を10本減らした。
[出村義和]
2007年は133試合に出場、打率2割9分6厘、ホームラン20本と、いずれも前年を下回り、シーズン30本以上ホームランも連続9年で途切れた。しかし、チームが東地区優勝を果たしプレーオフに進出すると、持ち前の強打を発揮してチームのリーグ優勝に貢献、レッドソックスは7回目のワールド・シリーズ優勝を勝ち取った。
2007年までの通算成績は、出場試合1950、安打2209、打率3割1分3厘、本塁打490、打点1604。獲得したおもなタイトルは、首位打者1回、本塁打王1回、打点王1回。
[編集部]
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