リーランド(読み)Leland,George Adams

朝日日本歴史人物事典 「リーランド」の解説

リーランド

没年:1924.3.17(1924.3.17)
生年:1850.9.7
明治時代に来日したお雇い外国人。アメリカ人体育教師。米国アマースト大学,ハーバード大学卒,医学博士。明治11(1878)年,新設体操伝習所に招かれて,学校体操選定教員養成に当たった。彼が選定した体操はのちに「普通体操」と称され,明治期を通じてわが国の学校で実施されることになった。また,活力試験(身体検査,体力測定)を実施して,体操の効果を科学的に実証することの必要性とその方法も示した。14年離日後,ドイツでさらに医学を学び,帰国後は医学者,医師として生涯を送った。<参考文献>『李蘭土氏講義体育論』(筑波大中央図書館蔵),今村嘉雄『学校体育の父リーランド博士』

(大熊廣明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リーランド」の意味・わかりやすい解説

リーランド
Leland, John

[生]1506. ロンドン
[没]1552.4.18. ロンドン
イギリスの古物収集家。ケンブリッジオックスフォード,パリ各大学で学び,司祭叙階された。 1533年ヘンリー8世の司書となり,王家古文書や古物品の整理監督にあたった。 36年にはオックスフォードのキングズ・カレッジの聖堂参事会員の聖職禄を受け,またソールズベリーの大聖堂参事会員の聖職禄をも受けた。主としてロンドンに住んだが,36~42年は古物収集家としてイングランド,ウェールズ各地を旅行し『旅行記』 Itinerary (1710~12) をはじめ,古文書の収集録,カタログ,その他の記述を多数残した。

リーランド
Leland, George Adams

[生]1850.9.7. ボストン
[没]1924.3.17. ボストン
アメリカの医学者。アマースト大学卒業。 1878年文部省が体操伝習所を設立した際に日本に招聘され,その教師となる。手具体操 (軽体操とも称された) ,遊戯,スポーツなどを指導し,1881年に帰国。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」ということばを紹介,「体操とは機能的な活動である」という彼の体育論は『新撰体操書』 (1882) にまとめられている。

リーランド
Leland, Charles Godfrey

[生]1824.8.15. アメリカ合衆国,ペンシルバニア,フィラデルフィア
[没]1903.3.20. イタリア,フィレンツェ
アメリカ合衆国の詩人,編集者。ペンシルバニア・ダッチと呼ばれるドイツ語方言で書いた『カール旦那のスケッチブック』Meister Karl's Sketch-Book (1855) などユーモラスな随筆,詩で知られる。ほかにロマ,インディアンに関する著作がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「リーランド」の解説

リーランド Leland, George Adams

1850-1924 アメリカの体育教師,医師。
1850年9月7日生まれ。明治11年(1878)日本政府の招きで来日,体操伝習所教師となる。東京師範などで体操術の指導をした。その体操術は口述をもとに「体育新書」「新制体操書」として刊行された。14年帰国,郷里のボストンで耳鼻科医となり,のちアメリカ咽頭学会会長。1924年3月17日死去。73歳。アマースト大卒,ハーバード大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「リーランド」の解説

リーランド

生年月日:1850年9月7日
アメリカの医学者
1924年没

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