ルクレール(英語表記)Jean-Marie Leclair

改訂新版 世界大百科事典 「ルクレール」の意味・わかりやすい解説

ルクレール
Jean-Marie Leclair
生没年:1697-1764

フランス作曲家,バイオリン奏者。リヨンで生まれ,19歳のときに生地の歌劇場に舞踊手として名を連ねている。1726年ころトリノでバイオリン奏者G.B.ソミスに学び,それが後半生を決定した。28年にはパリの市民のための演奏会〈コンセール・スピリチュエル〉でバイオリン独奏者として大成功を収め,33年にルイ15世宮廷の音楽家に任命された。38年から43年まで,アムステルダムの宮廷やハーグで音楽活動を行い,この間P.ロカテリに師事している。パリに戻ったルクレールは,48年からかつての弟子で音楽愛好家グラモン公の私設劇場の音楽監督と作曲家を終生務めている。

 ルクレールの残されている作品のほぼすべてがバイオリン用で,バイオリンと通奏低音のための《ソナタ》5巻,二つのバイオリンのための《ソナタ集》2巻,《バイオリン協奏曲集》2巻などがある。彼の作曲家としての功績は,コレリ以来のイタリアのソナタのスタイルと,フランス独自の,舞曲やビオラ・ダ・ガンバのスタイルを,これらの作品で巧みに融合した点にある。また演奏家としても,装飾音奏法やノート・イネガル(均等の音符の連なる音型を長めと短めの組になった音符の連続のように奏する習慣)などフランスの伝統を保持する一方で,二重トリルや長い弓さばきなどイタリアの技法を駆使し,フランスのバイオリン楽派の祖として,18世紀末まで大きな影響を与え続けた。同名の弟(1703-77)もバイオリン奏者で,リヨンで名声を馳せた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルクレール」の意味・わかりやすい解説

ルクレール(フランスの軍人)
るくれーる
Leclerc
(1902―1947)

本名Jacques Philippe de Hauteclocque。フランスの軍人ソンム県旧家に生まれ、サン・シール陸軍士官学校を卒業。第二次世界大戦初期にドイツ軍の捕虜となるが脱走してロンドンの自由フランス運動に参加し、ドイツ軍占領下の家族の安全のためルクレールと名のった。北アフリカでイタリア軍を相手として目覚ましい戦功を収めたのちフランス軍第二機甲師団を率いて1944年6月ノルマンディー上陸作戦に参加。8月24日にはパリ解放の先陣を務め国民的英雄となった。さらにストラスブールを解放し、1945年、終戦時にはベルヒテスガーデンまで進出した。その後インドシナ派遣軍総司令官として日本軍の対仏降伏文書に調印した。翌1946年北アフリカ派遣軍の総監となるが、1947年アルジェリアで飛行機事故死。1952年に元帥の称号を受けた。

[平瀬徹也]


ルクレール(Jean-Marie Leclair)
るくれーる
Jean-Marie Leclair
(1697―1764)

フランスの作曲家、バイオリン奏者。リヨンで生まれる。トリノの宮廷で舞踏家および教師として活動する一方、ソーミスに師事し、バイオリン技法を磨いた。1728年パリに戻り、バイオリン・ソナタ集を作曲・出版する一方、公開の演奏会で自作を演奏し、人気を博した。34年にルイ15世の宮廷バイオリン奏者になる。しばしばオランダなどへの演奏旅行を行い、フランス国外でも有名になった。43年、最終的にパリに居を構えたが、晩年は不遇であった。ルクレールは18世紀のフランスを代表する名バイオリン奏者であり、フランクールらとともにフランス・バイオリン楽派の祖とされている。パリに没。

[美山良夫]

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百科事典マイペディア 「ルクレール」の意味・わかりやすい解説

ルクレール

フランスの作曲家,バイオリン奏者。フランス・バイオリン学派の祖。リヨンに生まれ,舞踊家・舞踊教師として活動後,トリノでG.B.ソミス〔1686-1763〕(コレリビバルディに学んだ大家)にバイオリンを学ぶ。以後パリでバイオリン奏者として名声を高め,ルイ15世の宮廷に仕えたのち各地に楽旅。1738年−1743年にはアムステルダムの宮廷やハーグで活動し,この間P.ロカテリに師事した。1743年パリに永住。作品はほとんどがバイオリン曲で,コレリ以来のイタリアのソナタの様式とフランスの伝統的様式とがバランスよく結合した独自の作風を築いた。バイオリンと通奏低音のための《ソナタ》5巻,《バイオリン協奏曲集》2巻などがある。

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20世紀西洋人名事典 「ルクレール」の解説

ルクレール
Leclerc


1902 - 1947
フランスの軍人。
元・北アフリカ派遣軍総監。
ソンム県生まれ。
本名Jacques Philippe de Hauteclocque。
第二次世界大戦初期にドイツ軍の捕虜となるが脱走、ロンドンの自由フランス運動に参加し、別名にて活動する。北アフリカでイタリア軍を相手として目覚しい戦功を収め、フランス軍第二機甲師団を率いて、’44年ノルマンディー上陸作戦に参加。同年8月パリ解放の先陣を務め国民的英雄となり、ストラスブールを解放、’45年ベルステスガーデンまで進出。のちインドシナ派遣軍総司令官として日本軍の対仏降伏文書に調印。’46年北アフリカ派遣軍の総監になるが、’47年アルジェリアで飛行機事故死。’52年元帥授与。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルクレール」の意味・わかりやすい解説

ルクレール
Leclerc, Jean

[生]1657.3.19. ジュネーブ
[没]1736.1.8. アムステルダム
フランスのプロテスタント神学者,聖書学者。ソーミュールなどで実証主義的聖書批判学を学び,伝統的カルバン主義と決別,1684年よりアムステルダムのアルミニウス派神学校で教えた。モーセ五書はモーセの書いたものではないとした。新約の翻訳のほか,多くの聖書注解があり,彼の編んだ『古代近代全書』 Bibliothèque ancienne et moderne (29巻,1714~30) ほか2編の百科全書は後代に影響を残した。

ルクレール
Leclair, Jean-Marie

[生]1697.5.10. リヨン
[没]1764.10.22. パリ
フランスのバイオリニスト,作曲家。最初舞踊家であったが,バレエ教師としてイタリアを訪れた際に,G.ソミスにバイオリン奏法を学び,1728年バイオリニストとしてパリでデビュー。イタリアの流れをくみながらも独自の様式をもつバイオリン・ソナタと協奏曲を作曲してフランスの器楽の興隆に貢献した。パリの自宅で暗殺された。

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