コレリ

百科事典マイペディア 「コレリ」の意味・わかりやすい解説

コレリ

イタリア作曲家,バイオリン奏者。コレッリともいう。イタリア北部ラベンナ近郊のフジニャーノに生まれる。ファエンツァで最初の音楽教育を受けたものと推定され,13歳からは当時の合奏音楽の中心地ボローニャで学ぶ。1775年以降はローマを活動の拠点にして作曲家,バイオリン奏者として名声を高め,同地に没した。作品にはいずれも完成度の高い6つの曲集があり,トリオ・ソナタソナタ参照)が4集各12曲(教会ソナタと室内ソナタがそれぞれ2集),通奏低音をともなうバイオリン・ソナタ(作品5)と合奏協奏曲(作品6)が各12曲残されている。コンチェルト・グロッソ(1714年出版)以外はその生前に出版され,ヨーロッパ各地で広く愛好された。3分野いずれもバロック中期の器楽曲の高い到達点を示し,ソナタとコンチェルトグロッソの発展に偉大な足跡を残した。作品5-12の《ラ・フォリア》による変奏曲,作品6-8の通称クリスマス協奏曲》は中でも広く知られる。その門下からはF.S.ジェミニアーニ〔1687-1762〕,P.ロカテリ〔1695-1764〕らが輩出した。→トレリルクレール
→関連項目スカルラッティパストラル

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改訂新版 世界大百科事典 「コレリ」の意味・わかりやすい解説

コレリ
Arcangelo Corelli
生没年:1653-1713

イタリアの作曲家,バイオリン奏者。17世紀後半に合奏音楽の中心地であったボローニャで音楽の勉強をし,のちローマに出て,サン・ジョバンニ・デイ・フィオレンティーニ聖堂のバイオリン奏者を務めたりしたが,ローマに居住していた元スウェーデン女王のクリスティーナ,ベネデット・パンフィーリ枢機卿,ピエトロ・オットボーニ枢機卿らの後援を得て,作曲と演奏活動に専念することができた。

 作品としては,作品1と作品3のそれぞれ12曲ずつの教会トリオ・ソナタ,作品2と作品4のそれぞれ12曲ずつの室内トリオ・ソナタ,作品5の12曲のバイオリン・ソナタ,作品6の12曲のコンチェルト・グロッソが知られている。作品6はコレリの死後1714年に出版されたが,作曲者自身が生前に編んだ曲集であることは明らかである。

 コレリは,教会・室内両分野において,トリオ・ソナタ,ならびに,トリオ・ソナタをより動的にした種目とも言えるコンチェルト・グロッソの古典的な形式を創り上げるとともに,バイオリンと通奏低音の組合せによるバイオリン・ソナタにおいても,バロック中期の典型的な様式を打ち立てた。コレリの残した作品の数は少ないが,どの曲も磨きがかかっていて,珠玉の光を放っている。作品5の12の《ラ・フォリア》による変奏曲,作品6の8の通称《クリスマス協奏曲》などは,広く知られている。彼の曲にはバイオリンの技巧を顕示するようなところは見られないが,弟子の中には,ジェミニアーニやロカテリら,バイオリンの演奏技巧を大いに開拓した人たちがいた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コレリ」の意味・わかりやすい解説

コレリ
Corelli, Franco

[生]1921.4.8. アンコナ
[没]2003.10.29. ミラノ
テノール歌手。歌手としてのキャリア開始は遅く,ペザロのロッシーニ音楽院に学び,1950年にフィレンツェ5月音楽祭コンクールで優勝。翌 1951年にジョルジュ・ビゼーオペラカルメン』のドン・ホセ役でデビュー,成功を収めた。1954年にはミラノのスカラ座に初登場し,シーズン開幕にガスパーレ・L.P.スポンティーニの『ベスタの巫女』でマリア・カラスと共演した。美しく力強いリリコ・スピントの声,また端正で甘いマスクと 188cmの長身で聴衆を魅了して大スターへの道を歩み,マリオ・デル・モナコ,ジュゼッペ・ディ・ステファーノとともに 1950年代の三大テノールと言われた。ジュゼッペ・F.F.ベルディの『イル・トロバトーレ』のマンリーコ,ジャコモ・プッチーニの『トスカ』のカバラドッシなどがあたり役。メトロポリタン歌劇場では 368回公演した。1976年現役を引退。

コレリ
Corelli, Arcangelo

[生]1653.2.17. フジニャーノ
[没]1713.1.8. ローマ
イタリアの作曲家,バイオリニスト。イタリア・バロックの代表的作曲家の一人。 1666年からボローニャでバイオリンを学び,70年,わずか 17歳でボローニャのアカデミア・フィラルモニカの会員になった。 81年以降4巻の『トリオ・ソナタ』,1巻の『バイオリン・ソナタ』,1巻の『コンチェルト・グロッソ』を発表。古典的な高貴さと均整感をもつ彼の作風は,多数の弟子を通じてその後のバイオリン音楽に大きな影響を与えた。

コレリ
Corelli, Marie

[生]1855
[没]1924
イギリスの女流作家。本名 Mary Mackay。音楽から文学に転じて大衆小説を多作した。代表作『デリシア殺人事件』 The Murder of Delicia (1896) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コレリ」の意味・わかりやすい解説

コレリ(Arcangelo Corelli)
これり

コレッリ


コレリ(Franco Corelli)
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コレッリ

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世界大百科事典(旧版)内のコレリの言及

【イタリア音楽】より

… バロック時代には,ハープシコードの独奏曲も多く作られたが,1560年代から登場していたバイオリンとその同属の楽器を中心にした合奏曲が発展し,トリオ・ソナタ,独奏ソナタ,コンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲),独奏コンチェルトなどが次々と形を成していった。ソナタやコンチェルト・グロッソの作曲家としてはA.コレリ,独奏コンチェルトではビバルディの名が広く知られている。ルネサンス時代とは逆に,18世紀には,イタリアの音楽家は西ヨーロッパ各地で大活躍することになった。…

【ソナタ】より

…これら二つの型はやがて様式的混合がなされ,相互の区別がなくなってゆく。これらのソナタを完成させたのは17世紀後半のローマのコレリで(作品1と3,そして5の前半が教会ソナタ,作品2と4,そして5の後半が室内ソナタ),その影響は各国に及んだ。 バロック・ソナタは声部数の上から次の4種に分けられる。…

【トリオ・ソナタ】より

…バロック初期ではガブリエリ(G.ガブリエリ),ロッシSalomone de Rossi(1570ころ‐1630ころ),メールラTarquinio Merula(1594ころ‐1665)らが作品を残している。トリオ・ソナタを完成に導いたのはコレリで,彼のそれぞれ二つの教会ソナタ集(1681,89)と室内ソナタ集(1685,1700)はとくに重要である。トリオ・ソナタは当時のイタリアをはじめドイツ語圏,フランス,イギリスなどヨーロッパ各国で盛んに作曲され,バロックの典型的なソナタとなった。…

【バイオリン】より

…この方向への第一歩を踏み出したのが,チーマGiovanni Paolo Cima(1570ころ‐?)によるバイオリンを含むトリオ・ソナタ(1610)と通奏低音付き独奏ソナタ(1620)である。この発展は,フォンタナGiovanni Battista Fontana(1630ころ没),マリーニBiagio Marini(1587ころ‐1663),ビターリなどに受け継がれ,有名な〈ラ・フォリア〉の主題による変奏を含むコレリのソナタ集(作品5。1700)において頂点に達する。…

【バロック音楽】より

…およそ16世紀末から18世紀前半にかけての音楽をいう。この時代に活躍した音楽家の中では,J.S.バッハ,ヘンデル,ビバルディらの名が広く知られているが,彼らは後期バロックの巨匠であり,初期を代表するモンテベルディやフレスコバルディ,中期のリュリやコレリらも見落とすことができない。同時代の美術の場合と同じく,バロック音楽を社会的に支えたのは,ベルサイユの宮廷に典型を見る絶対主義の王制と,しだいに興隆する都市の市民層であった。…

※「コレリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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