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ルフィヌス Rufinus, Flavius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルフィヌス
Rufinus, Flavius

[生]?
[没]395.11.27. コンスタンチノープル
ローマ皇帝アルカディウスの宰相。ガリア人。先帝テオドシウス1世がルフィヌスを息子アルカディウスの第1の後見人として指名したが,まもなくもう1人の息子ホノリウスの後見人とされた西ローマ軍の司令官 F.スチリコと対立。ルフィヌスはひとり娘をアルカディウスにとつがせてみずからの地位を強化しようとしたが妨げられ,コンスタンチノープルに派遣されたスチリコの軍隊によって殺された。

ルフィヌス
Rufinus, Tyrannius

[生]345頃.アキレイア近郊コンコルディア
[没]410/411. メッシナ近郊
キリスト教の司教,翻訳者,著述家。ローマで学び,ヒエロニムスと親交を結び,20歳のときアキレイアで修道士となった。 373年エジプトに旅してオリゲネスの神学を知った。 378年パレスチナにおもむき,修道院を建て,司祭となった。 390年代前半にオリゲネスをめぐる論争に巻込まれヒエロニムスと激しく対立した。 397年オリゲネスの『原理論』のラテン訳を出してから論争は再燃し,教皇に召喚され『弁明』 Apologiaを書いた。ほかにもギリシア語で書かれた神学書のラテン訳を行なっており,そのなかにはオリゲネスの聖書注解や説教,バシレイオス,ニッサのグレゴリウスの説教,エウセビオスの『教会史』などが含まれている。

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世界大百科事典 第2版の解説

ルフィヌス【Flavius Rufinus】

?‐395
後期ローマ帝国の文官。ガリア出身であったが,テオドシウス1世に登用され,東ローマ政府で388‐392年書記官長,392年コンスル,392‐395年オリエンス道長官を歴任。394年エウゲニウス討伐戦に出立するテオドシウスから長子アルカディウスの後見をゆだねられ,同帝没(395年1月)後は帝国東部の実質的な統治者となるが,すぐに西政府の実権者スティリコと対立。スティリコと東ローマ宮廷の宦官エウトロピウスの共謀により,ゴート人将校ガイナスGainasの手で殺害された。

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