レガスピ(英語表記)Miguel López de Legazpi

デジタル大辞泉 「レガスピ」の意味・読み・例文・類語

レガスピ(Legaspi)

フィリピンルソン島南東部、アルバイ州の都市。同州の州都。かつて日系移民から「ルソン富士」と称されたマヨン山の南東麓に位置する。ビコール半島の中心地。アルバイ湾に臨む港湾をもち、ココヤシ、米、アバカマニラ麻)の積出港になっている。名称は、スペインの初代フィリピン総督ミゲル=ロペス=デ=レガスピにちなむ。

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改訂新版 世界大百科事典 「レガスピ」の意味・わかりやすい解説

レガスピ
Miguel López de Legazpi
生没年:1505-72

スペインのフィリピン遠征隊総司令官,初代フィリピン総督。スペインのギプスコア州スマラガの貴族の家庭に生まれた。法学と軍事学を修めて,1528年にメキシコへ渡り,弁護士業を開いて名声を得た。その後メキシコ市の市会議員,公証人,市長などを歴任したのち,同郷の親戚ウルダネータの推薦で,64年に国王よりフィリピン遠征隊の総督ならびに総司令官に任命され,4隻の帆船と380名の部下を率いて太平洋横断した。途中,サン・ルーカス号が船団から脱走したが,残る3隻は65年2月にフィリピン群島へ到着した。同年4月,セブ島に最初の植民地を建設,これを根拠地に周辺諸島の征服を進めた。原住民抵抗ポルトガル妨害で征服事業は困難をきわめたが,71年にはイスラム教徒が支配するルソン島の海港都市マニラ占領して,ここを植民地の主都とした。しかし,彼はルソン島攻略半ばの72年8月に心臓病で倒れ,征服事業は第2代総督ラベサレスの手にひき継がれた。
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レガスピ
Legaspi

フィリピンのルソン島南東部,ビコル半島先端に近いアルバイ湾岸に位置する大きな地方都市。人口15万7010(2000)。町の成立は古く,その名はスペイン初代総督レガスピに由来する。マニラ鉄道の南の終点でかつ道路交通の要衝であり,港はこの地方の特産物マニラアサ(アバカ),コプラの主要積出港として大きな役割を果たしてきた。1959年に市に昇格,アルバイ州の州都となった。市街地の北西方には世界的コニーデマヨン山がそびえ,観光客が多い。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「レガスピ」の解説

レガスピ
Miguel López de Legazpi

1505頃~72

スペイン領フィリピンの初代総督(在任1565~72)。1565年にセブ島に根拠地を築く一方,遠征隊員のウルダネタらに命じてメキシコに戻る太平洋横断航路を発見させ,スペインの諸島領有を可能にした。その後,ポルトガルの妨害や住民の抵抗を退け,71年に地域間交易の中心マイニラを確保してマニラ市とし,ルソン島各地の平定やカトリシズムの布教を進め,植民地支配の基礎を築いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レガスピ」の意味・わかりやすい解説

レガスピ
Legazpi, Miguel López de

[生]1510頃.ズバラハ
[没]1572.8.20. マニラ
スペインの政治家,軍人。フィリピン初代総督 (在任 1564~72) 。植民地経営を担当しメキシコにおもむいたが,のち遠征隊の司令長官に任命され,1564年メキシコを出発,太平洋を横断してフィリピンにいたった。セブ島を根拠地としてフィリピン攻略を始め,やがてルソン島のマニラを行政の中心とし (71) ,孫の J.サルセドらの協力により,フィリピン経営の基礎を固めた。

レガスピ
Legaspi; Legazpi

フィリピン,ルソン島南東部,ビコル半島南部の中心都市。アルバイ州の州都。フィリピン海から湾入するアルバイ湾にのぞみ,湾口をラプラプ島,バタン島で守られた港を擁する。港は深いが,台風の襲来が多い。 1639年スペインが植民し,初代総督 M.レガスピの名をとって命名した。 1870年代に開港し,マニラアサやその加工品,コプラを大量に輸出した。マニラアサの加工場が多く,大きな石油貯蔵所が立地する。マヨン火山の南麓にあって,その観光基地。国内空港があり,マニラからの鉄道の終点で,道路は州内各地に延びる。人口 12万 1000 (1990推計) 。

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百科事典マイペディア 「レガスピ」の意味・わかりやすい解説

レガスピ

フィリピン,ルソン島南東部,アルバイ湾に臨む港湾都市。アルバイ州の州都。北西にはマヨン火山がそびえる。付近の米,ココヤシ,アバカ(マニラ麻)などの集散地。マニラとの間に鉄道がある。1665年創設,地名はスペインの初代フィリピン総督レガスピM.L.Legazpiにちなむ。メキシコとの間のスペイン船航路の要地であった。1987年の台風,1993年のマヨン山の噴火で被害を受けた。15万7000人(2000)。

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旺文社世界史事典 三訂版 「レガスピ」の解説

レガスピ
Miguel López de Legazpi

1510?〜72
スペイン人で初代フィリピン総督
スペインの名門出身で,メキシコで活躍。のちモルッカ方面遠征隊司令官となり,太平洋を横断,1565年セブ島を占領,71年イスラームの支配するルソン島のマニラを占領した。自ら総督となり,スペインのアジア経営の拠点を築く。1572年,マニラで病死。のちにマニラはマニラ鉄道の終点として,またマニラ麻などの積出港としても繁栄することとなった。

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世界大百科事典(旧版)内のレガスピの言及

【ビコル族】より

…米,トウモロコシ,ココナッツおよびマニラ麻(アバカ)の栽培を行うが,台風の襲来を頻繁にうけ,多大な被害を被ることが多い。アルバイ州の州都レガスピはビコル族の中心地で,ほぼ完全なコニーデ型のマヨン火山を背後に擁し,観光地としても知られている。他の諸族に比較してカトリック教徒の比率が高く,信心深いと考えられており,より若いときに結婚してより多くの子どもをもつ傾向が強い。…

【サイパン[島]】より

…面積185km2,人口4万8000(1995)。1565年レガスピが上陸し,この付近の島々を正式にスペイン領とする旨を宣した。古くはグアムと同様多くのチャモロ族が住んでいたが,カトリックの強制的布教に反抗して1670年布教師を殺害し,スペイン政府によってグアムに強制移住させられ,98年以降無住の地となった。…

【太平洋】より

…マゼランは4月27日マクタン島での島民との戦いで戦死した。 メキシコのアカプルコから北東貿易風に乗ってフィリピンのマニラへ西航し,マニラからはいったん北上してのち偏西風に乗ってカリフォルニアに達するというガレオン船貿易路を開拓したのは,レガスピウルダネータである。スペイン王フェリペ2世にフィリピン占領とキリスト教の布教,およびフィリピンから新大陸への航路の発見を命ぜられた2人は,1564年メキシコからフィリピンへ渡った。…

※「レガスピ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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