デジタル大辞泉 「ロシア遠征」の意味・読み・例文・類語 ロシア‐えんせい〔‐ヱンセイ〕【ロシア遠征】 1812年、ナポレオン1世が大陸封鎖令に違反したロシアに対して行った遠征。モスクワを攻略したが、ロシア軍の焦土戦術に遭って退却、寒さとロシア軍・農民ゲリラの追撃により惨敗に終わった。モスクワ遠征。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「ロシア遠征」の意味・読み・例文・類語 ロシア‐えんせい‥ヱンセイ【ロシア遠征】 一八一二年五月から一〇月にかけて、ナポレオン一世が大陸封鎖の目的で行なったロシアへの大遠征。七〇万の大軍でロシアに侵入、モスクワを占領したが、敗退した。モスクワ遠征。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロシア遠征」の意味・わかりやすい解説 ロシア遠征ロシアえんせいCampagne de Russie; Russian Campaign of 1812 1812年6月に始るナポレオン1世のロシア遠征。ナポレオンの大陸政策はロシアとの同盟を必要としたが,特にオーストリア皇女との結婚はロシアを刺激して反フランス的態度に一変させた。 11年からロシアに対する監視が強化され,次いで 12年大陸封鎖の励行を迫るため遠征が開始された。しかし,全兵力 61万 2000人の大陸軍はモスクワ炎上後の長い敗走の途中で壊滅,国境にまで戻ることができたのは 11万 2000人であった。この遠征の失敗は翌年 10月のライプチヒでの敗北とともにナポレオン没落の決定的要因となった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「ロシア遠征」の解説 ロシア遠征ロシアえんせい 1812年5月,ナポレオン1世の行った遠征モスクワ遠征ともいう。イギリスに大量の農作物を輸出するロシアが,大陸封鎖令に違反してイギリスと通商したため,ナポレオンは70万の「大陸軍」を編成し,うち40万の中央軍を率いてロシアに侵入して9月14日モスクワを占領した。しかしロシアの焦土戦術にあって10月19日退却を余儀なくされ,退路で寒波とクトゥーゾフ率いるロシア正規軍・農民ゲリラにおそわれ,「大陸軍」は潰滅した。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロシア遠征」の意味・わかりやすい解説 ロシア遠征ろしあえんせい →モスクワ遠征 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by