ロシアの数学者。双曲的非ユークリッド幾何学(「ボヤイ‐ロバチェフスキーの幾何学」ともいわれる)の創始者で、一生を非ユークリッド幾何学の研究と大学の行政とに捧(ささ)げた。下級官吏の次男として、ニジニー・ノブゴロド(現、ゴーリキー)に生まれる。父はニコライが7歳のときに死亡、兄と弟とともに母の手で育てられた。一家は貧困のなかにあったが、母は3人の子供の教育にすべてをかけ、子供たちをカザンのギムナジウムに入学させた。当時、ここはもっとも能力のある生徒が集められ、貴族階級以外の一般の階級の子弟には、とくに厳しい試験が課せられていた。ニコライが入学を許されたのは1802年であるが、入学試験のときすでに数学に天賦の才能があることを示し、14歳でカザン大学に進学したころには、すでにニュートンの『プリンキピア』をはじめ、多くの数学の専門書や論文を勉強してしまっていた。入学後、一時、医学を志したが、やがて数学と天文学に異常な興味をもち、その方面での才能を発揮し始めた。18歳のとき、学校当局との間にいざこざを起こして不興を買ったりしたが、その年修士の学位をとり、1814年には物理・数学科助手、1816年には員外教授となった。1820年に数学・物理学部長、1822年に建設委員会委員(1825年から委員長)、1826年に正教授となり、1827年カザン大学学長として承認され、1846年まで連続して学長の任にあった。その間、1826年2月には、物理・数学部会において非ユークリッド幾何学の原理を含む研究報告を行い、1829~1830年の『カザン通報』に「幾何学の原理について」を発表した。これが印刷の形で発表された非ユークリッド幾何学の最初の論文である。その後さらに「想像の幾何学」「完全な平行線公理をもった幾何学」などを発表し、10年ほどかかって新しい幾何学、すなわち非ユークリッド幾何学の基礎をつくりあげた。『想像の幾何学』が1837年フランスで公表され、『平行線の理論に関する幾何学的研究』という小冊子が1840年ベルリンにおいてドイツ語で出版された。ガウスがロバチェフスキーの業績を知ったのもこの著作によってである。最後の研究は1855年『汎幾何学(はんきかがく)』に公表されたが、同年学長を解任され、翌1856年病のため63歳で世を去った。
[茂木 勇]
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ロシアの数学者。現在のゴーリキーに生まれたが,幼少のころカザンに移住した。創立直後のカザン大学に入学し,ガウスの友人バルテルスM.Bartelsに数学を学んだ。1814年に母校の教授となり,学長はじめ要職を歴任した。平行線論の研究をつづけるうち,非ユークリッド幾何学の成立を確信し,その成果を1829年,1836-38年にロシア語でカザン大学学報に発表し,40年にはドイツ語で《平行線論の幾何学的研究》と題して出版した。これにより非ユークリッド幾何学の発見という金字塔を打ち立てた。
執筆者:中岡 稔
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…しかしユークリッド幾何学の先験性を信ずるあまり,彼らは第5公準を否定しうる命題とは考えることができなかった。第5公準を大胆にも否定して,それを〈直線外の1点を通りその直線に平行な直線は少なくとも2本ある〉という公準におきかえた幾何学を構成したのはN.I.ロバチェフスキーとボーヤイ J.で,それは1830年ころのことであった。当時の数学界の帝王C.F.ガウスもこのような幾何学の存在を信じ,それを非ユークリッド幾何学と呼んだが,騒々しい非難を恐れて未発表にしたことが後年になってわかった。…
…批判精神の盛んな時代となり,曲面の幾何学を考えているうちにガウスは,あるいは現象空間において,1直線外の1点を通りそれに平行な直線がただ一つではないこともありうるのではないかと思い,その仮定の上に成り立つ幾何学の研究を始めた。彼は世人の無理解をおそれてそれを発表しなかったが,同時代のボーヤイJ.やN.I.ロバチェフスキーはその研究を公表した。上の仮定のもとでは三角形の内角の和は2直角より小さくなるが,球面幾何学と多くの類似点をもつ幾何学が構成されることが示されたのである。…
…この時代の最大の数学者C.F.ガウスもこのような考えをもち,かなりの成果を得ていたが,当時一世をふうびしたカント哲学の影響もあって,その研究を発表しなかった。第5公準以外の公準および公理はそのまま残し,第5公準に代わって〈平面上で,直線外の1点を通って,この直線と交わらない直線は少なくとも二つ存在する〉という公準を採用して,一つの幾何学を作り,勇敢にもそれを発表して,非ユークリッド幾何学発見の栄誉を得たのはN.I.ロバチェフスキーとボーヤイ J.で,それは1830年ころのことであった。この幾何学では,ユークリッド幾何学とはまったく趣を異にする次の定理が成り立つ。…
※「ロバチェフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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