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ロンメル Rommel, Erwin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロンメル
Rommel, Erwin

[生]1891.11.15. ハイデンハイム
[没]1944.10.14. ウルム近郊
ドイツの陸軍軍人。第2次世界大戦における著名な野戦指揮官,勇敢ですぐれた戦略家として知られる。 1910年士官候補生として入隊,第1次世界大戦で勲功をあげ,その後兵器連隊将校として過し,39年ヒトラー親衛隊の指揮をとる。 41年2月リビアのドイツ軍司令官となり,イギリス軍をエジプトに追払ったが,その後の対イギリス戦闘で地中海の海上交通を絶たれたことによる後方の困難さとイギリス軍の優勢のため,チュニジアに退却。 43年3月本国に呼戻され,44年陸軍元帥としてフランスのB軍団を指揮,連合軍の上陸作戦 (→オーバーロード作戦 ) に対処する効果的作戦計画を立てたが,ヒトラーに認められず,同年7月前線視察中にイギリス空軍機の攻撃を受けて負傷した。ロンメルはヒトラーの政策に幻滅を感じており,彼の暗殺計画に反対しなかった。 44年7月 20日暗殺計画は失敗したが,ヒトラーは国民の英雄的存在である将軍を公敵とすることをはばかり,裁判を受けずに自殺すれば,彼と家族の名誉を保障するとの約束のもとに自殺させ,盛大な軍葬を行なった。

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デジタル大辞泉の解説

ロンメル(Erwin Rommel)

[1891~1944]ドイツ軍人。第二次大戦中、北アフリカ戦線で活躍、「砂漠の狐」とよばれた。のちヒトラー暗殺計画に連座して自殺。

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百科事典マイペディアの解説

ロンメル

ドイツの軍人。第1次大戦に従軍。1933年ナチスに入党,1938年ヒトラーの親衛隊長。第2次大戦初期は西部戦線で戦車師団を指揮,のちアフリカ軍団を率いて英軍を破って元帥となり,スエズに迫ったが,エル・アラメインの戦に敗北。
→関連項目アレクサンダー

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世界大百科事典 第2版の解説

ロンメル【Erwin Rommel】

1891‐1944
ドイツの陸軍元帥,第2次世界大戦における卓抜した野戦指揮官。バイエルン州ハイデンハイム出身。1910年ドイツ陸軍に入り,第1次世界大戦では歩兵小部隊指揮官として武名をあげ,第2次世界大戦では当初,ヒトラーの護衛隊長であったが,対フランス作戦で装甲師団長として長途の敵中突進で戦功をあげた。41年初頭,イタリア軍援助のための北アフリカ派遣ドイツ軍の司令官に起用され,砂漠の戦車機動戦で天才的な直観決断力とを発揮して戦績を重ね,敵側から〈砂漠の狐〉と呼ばれるようになった。

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大辞林 第三版の解説

ロンメル【Erwin Rommel】

1891~1944) ドイツの軍人。第二次大戦中、北アフリカ戦線で戦車軍団を駆使して活躍、「砂漠の狐きつね」とうたわれた。のち、ヒトラー暗殺計画に巻き込まれて自殺。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ロンメル
ろんめる
Erwin Rommel
(1891―1944)

ドイツの軍人。教師の子に生まれる。第一次世界大戦ではイタリア戦線で軍功をたて第一級鉄十字章およびプール・ル・メリット勲章を授与された。ナチス党員ではなかったが、ヒトラーを熱烈に支持し、ナチスの青年組織ヒトラー・ユーゲントの軍事教官となり、1938~1939年第二次世界大戦勃発(ぼっぱつ)時には総統本部警備司令官であった。1940年5月機甲師団を率いてアルデンヌ戦線を突破、盛名を馳(は)せた。1941年2月リビアに派遣されアフリカ軍団長となり、巧妙な戦術でイギリス軍を追い「砂漠の狐(きつね)」とよばれた。1942年元帥に昇進するが、同年10月に始まるイギリス軍の反攻を押さえられず、1943年3月にはチュニジアから撤退した。しばらく北イタリアで軍団を指揮したのち、同年12月北フランス海岸防衛を担当した。1944年6月連合軍が北フランスに上陸すると(ノルマンディー上陸作戦)、ヒトラーに休戦を訴えたが相手にされず、反ヒトラー・グループに接近した。ヒトラー暗殺未遂事件の直前に空襲のため重傷を負ったが、1944年10月自殺か大逆罪裁判かの選択を迫られ、自殺し、国防軍葬が行われた。[吉田輝夫]
『ヤング著、清水政二訳『ロンメル将軍』(1978・早川書房)』

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世界大百科事典内のロンメルの言及

【エル・アラメインの戦】より

…第2次大戦における主要な決戦の一つ。北アフリカでロンメル指揮の枢軸国(ドイツ,イタリア)軍は西方よりイギリスの植民地エジプトに向け進攻した。敗退を重ねていたイギリス第8軍は,モンゴメリー将軍を指揮官に迎えてから態勢を立て直し,まず1942年8月末,アラム・ファルファの戦闘で枢軸国軍を撃退した。…

※「ロンメル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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