日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローランス」の意味・わかりやすい解説
ローランス(Henri Laurens)
ろーらんす
Henri Laurens
(1885―1954)
フランスの彫刻家。パリに生まれ、同地に没。小学校卒業後、装飾彫刻の工房で修業し、のち石工として働く。また「ペール・ペラン」の夜間コースでデッサンを学ぶ。1911年ブラックと出会いキュビスムの影響を受けた。16年、ピカソの助力により最初の個展を開く。木、石膏(せっこう)を素材に、着彩を施しキュビスム的な構成による浮彫り作品を発表する。第一次世界大戦中は、この浮彫りで表した構成を「パピエ・コレ」によって平面に表現する。20年ごろからブロンズやテラコッタで、人体の有機的なつながりを強調し、そして海の躍動する動きを連想させる、『オケアニデス』(1933、アントウェルペン王立美術館)など、いわゆる「地中海的な」彫像を制作した。他に代表作として、柔らかなフォルムが結び付けられて、堂々とした量塊性ある人体を構成する『別離』(1940~41、ケルン、ルートウィヒ美術館)がある。51年パリの国立近代美術館で大回顧展。
[上村清雄]
ローランス(Jean Paul Laurens)
ろーらんす
Jean Paul Laurens
(1838―1921)
フランスの画家。オート・ガロンヌ県のフルクボーに生まれる。パリでカバネルに学び、1863年サロンに初出品。以後毎年出品を続け、72年一等賞を獲得。91年にはアカデミー会員となり、1900年にはレジオン・ドヌール勲章を受ける。作品は中世の史実に題材を求め、アカデミックな技術でフランス歴史画の最後の大家といわれる。計算された構図、力強いデッサン、冷たい色調が特徴。アカデミー・ジュリアンの教授として多くの後進を育て、わが国からも中村不折(ふせつ)、鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)、満谷国四郎(みつたにくにしろう)、安井曽太郎(そうたろう)などが学んだ。代表作にパリのパンテオンの壁画『聖ジュヌエーブの死』がある。パリで没。
[染谷 滋]