ドイツの動物学者。フランクフルト・アム・マイン生れ。初めゲッティンゲン大学で化学と医学を学び,いったんは医者になったが,ギーセン大学に再入学しおもに昆虫の発生を研究し,その後1912年の定年までフライブルク大学動物学研究所に勤めた。顕微鏡研究で目を酷使し視力が衰えたため後半生は理論面に力を注ぎ,1892年の《生殖質説Das Keimplasma》として結実した。これによると,生殖細胞の核だけはすべての形質の決定因子を保持し続けるが,体細胞は発生の経過とともに決定因子が不均等に分配されてゆき,最終的に少数の決定因子の支配によって組織分化が起こるとされ,獲得形質の遺伝は全面的に否定された。ワイスマン学説は近代的前成説と呼ぶべきものであったが,他の学説よりも精緻(せいち)で,かつ当時注目されていた染色体のふるまいともうまく対応したため,広く受け入れられた。このほか《進化論講義Vorträg über Deszendenztheorie》(1902)も有名である。
執筆者:米本 昌平
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…とくにダーウィンは彼の遺伝理論パンゲン説を論ずる中でそのことを述べている。これに対して獲得形質遺伝を否定するものも19世紀末から20世紀にかけ盛んにみられ,ドイツのA.ワイスマンはその代表格である。彼は生殖質連続説を提唱,次代を構成する生殖細胞以外,すなわち体細胞が受けた環境の影響は遺伝とは無関係であることを主張した(1885)。…
…1883年A.ワイスマンが提唱した生殖質説で想定した遺伝物質で,遺伝子に似た概念である。この説によれば生殖質は生物の遺伝と生殖に関与するデテルミナントdeterminant(決定要素)とよばれる単位から構成される。…
…しかし再生の発見につづき奇形発生の研究,動物の発生の比較研究などから,前成説はしだいに不利になっていく。19世紀後半におけるもっとも精緻なA.ワイスマンの発生学説(1892)にも前成説の要素がみられるが,ボネのそれよりもいっそう複雑に構成されており,後成説との境界はあいまいである。後成説【中村 禎里】。…
※「ワイスマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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