生物学者。明治末期から昭和初期にかけて活躍した。静岡県磐田(いわた)郡掛塚町(現、磐田市)出身。1889年(明治22)東京帝国大学理科大学選科を卒業後ドイツに留学し、ワイスマン(フライブルク大学)、ロイカルト(ライプツィヒ大学)に師事してヒルの体腔(たいこう)と血管系に関する論文を書き学位を得た。帰国後、山口高等農林学校を経て、1897年東京高等師範学校教授となり、定年まで在職した。この間、ヒル、ホヤ、コケムシ、クラゲなど水生小動物を研究して多数の論文を発表するかたわら、動物学教科書を書き、名著『進化論講話』『生物学講話』を著して、生物学、とくに進化論の普及に大きな役割を果たした。また、評論集『進化と人生』『煩悶(はんもん)と自由』や『最新遺伝論』なども広く読まれたが、特定の主義主張の絶対化を進化論の立場から批判し、修身教育を否定、理科教育の改善を提唱し、また優生学の安易な導入を戒めるなど、文明批評家、近代思想家としても優れていた。
[中根猛彦]
『『丘浅次郎著作集』全6巻(1968~1969・有精堂出版)』▽『『進化論講話』上下(講談社学術文庫)』
明治後期~昭和初期の生物学者,文明批評家。一般には進化論紹介者として知られる。東大理学部選科で動物学を学び,ドイツ留学後,東京高等師範学校教授をつとめた。ホヤ類,ヒル類など水生動物の比較形態学を専攻し,いくたの新種発見をはじめ国際的業績をのこした。《進化論講話》(1904)で当時最新の学説をはじめて一般向きに解説し,そののちダーウィン説によりながら,生物の生存競争に有利だった形質が,進化しすぎてその種属を滅亡へみちびくという独自の文明批評を展開し,人類についても悲観的未来観をのべた。また特定思想の絶対化を排し,何ごとも疑う習性の養成を目標にかかげる教育改革論は,現在なお傾聴に値する。主著《生物学講話》(1916),評論集《進化と人生》(1906),《煩悶と自由》(1921),《猿の群から共和国まで》(1926)のほかに動物学教科書など多数の著書があり,全集としては《丘浅次郎著作集》全6巻がある。なお一時期には浅治郎と署名している。
執筆者:筑波 常治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治〜昭和期の動物学者,進化論啓蒙家 東京文理科大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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…その講義はのち石川千代松訳《動物進化論》(1883)として刊行された。石川は《進化新論》(1891)を,丘浅次郎は《進化論講話》(1904)にはじまる多数の著作を書き,進化論を普及させた。これらと並行しダーウィン,スペンサー,ハクスリー,ワイスマンなどの著作もあいついで翻訳された。…
※「丘浅次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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