石川千代松(読み)イシカワチヨマツ

デジタル大辞泉 「石川千代松」の意味・読み・例文・類語

いしかわ‐ちよまつ〔いしかは‐〕【石川千代松】

[1861~1935]動物学者。東京の生まれ。東大教授ドイツワイスマン師事ホタルイカ発光アユ養殖など研究は広範囲。進化論紹介生物学解説普及尽力。著「進化新論」など。

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精選版 日本国語大辞典 「石川千代松」の意味・読み・例文・類語

いしかわ‐ちよまつ【石川千代松】

  1. 動物学者。東京帝国大学教授。ワイスマンの進化論の紹介、普及に尽力。万延元~昭和一〇年(一八六〇‐一九三五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石川千代松」の意味・わかりやすい解説

石川千代松
いしかわちよまつ
(1861―1935)

動物学者。江戸に生まれ、1882年(明治15)東京大学理学部動物学科を卒業。翌1883年同大学助教授。ドイツに3年間留学して、「生殖質説」で有名なワイスマンに師事。帰国後は帝国大学理科大学助教授を経て、1890~1924年、同農科大学教授。多くの水産動物の生殖・発生・細胞学、ホタルイカの発光など広範囲にわたる研究を行い、また、琵琶(びわ)湖産のコアユ多摩川に移殖して、普通のアユと同様に成長することを実証し、今日広く行われている同魚の移殖放流事業の基礎を固めた。とくに、若いころから進化論に興味をもち、大学での恩師モース講義筆記を『動物進化論』として訳出(1883)し、その後『進化新論』(1891)、『人間の進化』、『アメーバから人間まで』などの著作を発表、進化論の普及に努め、あわせて多くの著述講演により生物学的知識の解説・啓蒙(けいもう)に尽くした。学会出席のため台北へ出張中、同地で病死。

[日比谷京]

『『石川千代松全集』全10巻(1935~1936・興文社)』

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20世紀日本人名事典 「石川千代松」の解説

石川 千代松
イシカワ チヨマツ

明治〜昭和期の生物学者 東京帝国大学名誉教授。



生年
安政7年1月8日(1860年)

没年
昭和10(1935)年1月17日

出生地
江戸・本所亀沢(東京都墨田区)

学歴〔年〕
東京大学理学部生物学科〔明治15年〕卒

学位〔年〕
Ph.D.(フライブルク大学),理学博士〔明治34年〕

経歴
明治15年東大御用掛凖助教、16年助教授、18年ドイツ留学、ワイズマンに師事。フライブルク大学でPh.Dを取得。23年帰国、帝大農科大学教授となり、大正13年定年退官、名誉教授。この間東京帝室博物館長兼任、明治44年帝国学士院会員。39年以降豪州、欧米各国に差遣、大正15年ハワイ、カリフォルニアを巡遊、大正15年〜昭和2年ロックフェラー財団の招待により米国各地を巡歴した。東大でモース教授の影響を受け、受精現象の細胞学的研究、琵琶湖産小アユの陸封型立証、人工養殖など応用面にも活躍した。著書に「動物進化論」「進化新論」「動物学講義」「人間」など。「石川千代松全集」(全10巻)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「石川千代松」の意味・わかりやすい解説

石川千代松 (いしかわちよまつ)
生没年:1860-1935(万延1-昭和10)

動物学者。江戸の旗本の子として生まれる。東京大学理学部動物学科を卒業(1882)。学生のころ初代の動物学教授となったアメリカのE.S.モースの影響を受け,進化論に関心を示す。1883年モースの講義をまとめた《動物進化論》を著したのを手始めに進化論の啓蒙活動を行う。84年ドイツに留学,A.ワイスマンに師事し,師の生殖質連続説や進化理論に強く影響される。91年に著した《進化新論》にはそれがよく現れている。帰朝後,東京大学理学部助教授,農学部教授となる。進化論以外では細胞学,発生学に貢献。上野動物園史上にも重要な役割をはたした。《動物学講義》《石川大動物学》などの著書がある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石川千代松」の意味・わかりやすい解説

石川千代松
いしかわちよまつ

[生]文久1(1860).6.6. 江戸
[没]1935.1.17. 台北
生物学者。理学博士。東京大学理学部動物学科卒業 (1882) 。 E.S.モースおよび C.O.ホイットマンの影響を受ける。ドイツに留学 (86) ,A.ワイスマンに師事。帰国後,東京大学農科大学教授に任じられる (90) 。東京大学名誉教授,帝国学士院会員。日本の動物学の基礎を確立した一人。講演,著述により,生物学,特に進化論の普及に努めた。著作『進化新論』『動物学講義』『アメーバから人間まで』『石川千代松全集』など。

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百科事典マイペディア 「石川千代松」の意味・わかりやすい解説

石川千代松【いしかわちよまつ】

動物学者。江戸に生まれ,東大動物学科卒業。ドイツに留学してワイスマンに師事し,のち母校の教授。モースの講義をまとめ《動物進化論》として出版(1883年)。動物学についての多方面の研究とともに,多くの著述を通じて生物学,特に進化論の普及に努めた。また,琵琶湖のアユの養殖・放流を行うなど水産方面にも功績がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川千代松」の解説

石川千代松 いしかわ-ちよまつ

1860-1935 明治-昭和時代前期の動物学者。
安政7年1月8日生まれ。明治16年母校東京大学の助教授となり,モース教授の講義をまとめて「動物進化論」を出版する。17年ドイツに留学し,ワイスマンに師事。明治23年帝国大学教授。44年学士院会員。発生学,細胞学などの研究をおこない,進化論の普及と生物学の啓蒙(けいもう)につとめた。昭和10年1月17日死去。76歳。江戸出身。著作に「動物学講義」など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「石川千代松」の解説

石川千代松
いしかわちよまつ

1860.1.8~1935.1.17

明治~昭和前期の動物学者。江戸生れ。東大卒。在学中にモースの影響で進化論に共鳴し,1883年(明治16)モースの講義を翻訳出版し進化論を紹介。ドイツ留学後,帝国大学教授として動物学を担当。また東京帝室博物館館長。細胞学・発生学・実験形態学を専攻したが,さまざまな生物の受精現象の研究はとくに有名。動物園の設立にも努めた。

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367日誕生日大事典 「石川千代松」の解説

石川 千代松 (いしかわ ちよまつ)

生年月日:1860年1月8日
明治時代-昭和時代の動物学者;生物学者。理学博士;帝大農科大学教授
1935年没

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世界大百科事典(旧版)内の石川千代松の言及

【進化論】より

…明治時代に入り,松森胤保(たねやす)《求理私言》(1875)に進化のことが書かれたが,進化論の最初の体系的な紹介は1878年に東京大学動物学教授として来日したアメリカ人E.S.モースによってなされた。その講義はのち石川千代松訳《動物進化論》(1883)として刊行された。石川は《進化新論》(1891)を,丘浅次郎は《進化論講話》(1904)にはじまる多数の著作を書き,進化論を普及させた。…

【養殖】より

… 琵琶湖や鹿児島県の池田湖には,河川のアユのようには大きくならないコアユが生息しており,古くは普通のアユとは別種と思われていた。しかし,石川千代松は両者は同種であり,コアユが大きくならないのは餌が足りないなど湖の環境条件のせいであると考え,これを証明するため,1909年に琵琶湖の西北岸にあった知内養魚場の池でコアユを人工飼料で飼育し,秋までに最大体長30cmに成長させることに成功した。これが現在広く行われているコアユを種苗とするアユの養殖や河川放流のもととなった。…

※「石川千代松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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