ワフド党(読み)ワフドとう(英語表記)Wafd Party

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ワフド党
ワフドとう
Wafd Party

1919年にエジプトの民族独立を目指して結成された政党。エジプトの民族独立運動の指導者であるザグルール・パシャ・サアドのもとに結成され,対外的にはエジプトの封建制の打破と近代化とを目指し,エジプトの独立運動を主導した。 52年7月のムハンマド・ナギーブ将軍のクーデターによって軍独裁制が成立し,政党活動が禁止され非合法化したが,83年に新ワフド党として復活した。

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百科事典マイペディアの解説

ワフド党【ワフドとう】

エジプトの民族主義政党。1919年第1次大戦後のパリ会議に際し,エジプトは対英完全独立を要求して代表団(wafd)を送った。これが民族運動の中核となり,サード・ザグルールの指導下に政党に発展。1924年初めて政権を掌握,以後政局を指導したが,エジプト革命後の1953年解散。

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世界大百科事典 第2版の解説

ワフドとう【ワフド党】

エジプトの民族主義政党。第1次世界大戦後,パリ講和会議にエジプトの民族〈代表団〉(ワフドwafd)を送ろうとして始まった運動を母体に,1924年,サード・ザグルールを指導者として成立。〈エジプト人のためのエジプト〉を標榜し,キリスト教徒・ムスリムの違いを超えた広範な大衆の支持を獲得した。サード・ザグルールの無条件独立の立場は,絶えず同党の選挙での大勝をもたらした。だが,彼の死後,とくに世界恐慌後,都市の大衆・農民の窮乏化と対照的にエジプト資本主義が発展し,同党の地主・ブルジョア政党としての性格が強まった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ワフド党
わふどとう
Hizb al-wafd

1924年に成立したエジプトの民族主義政党。ワフドwafdとは「代表者」の意。
 1879~82年のアラービーの反乱以後、イギリスはエジプトを軍事支配下に置き、1914年の第一次世界大戦を契機に保護国とした。エジプトは、19年のパリ講和会議へ向け独立を要求するための代表団(ワフド)を派遣する問題でイギリス当局と対決し、これをきっかけに勃発(ぼっぱつ)した反英独立闘争(一九一九年革命)の口火を切ったワフド運動が党結成の母体となった。
 エジプト国民による反英運動が高まってくると、イギリスは軍事支配や特権を温存しながら名目的にエジプトの独立を宣言し、1922年エジプト王国が成立した。23年立憲政治が開始され、24年反英運動の指導者サード・ザグルールSa‘d Zaghll(1857―1927)を党首とするワフド党が誕生した。同党は「エジプト人のためのエジプト」を標榜(ひょうぼう)し、完全独立の要求を掲げた。イスラム教徒とキリスト教系コプト教徒との融和を図りながら、国民の圧倒的多数の支持を獲得し、つねに議会の第一党としてエジプト宮廷やイギリス当局に大きな脅威を与えた。
 しかし、1927年ザグルール死後、ナハスが党首に就任し、同党の地主・ブルジョアジー(資本家階層)政党としての性格が前面に出た。とくに世界恐慌後、都市の大衆や農民の窮乏化と対照的にエジプト資本主義が発展し、同党特有の性格が強まっていった。エジプトのブルジョアジーが台頭するにつれ、党の掲げる完全独立要求の力点は、しだいにイギリスとの政治的・経済的関係の正常化に移っていった。36年、ナハスが締結したイギリス・エジプト条約は、いちおうの完全独立は果たしたが、引き換えにイギリス軍の駐留を認め、第二次世界大戦中・戦後を通じ、事実上イギリス軍占領の因をつくった。30年代後半から、ムスリム同胞団、左翼勢力、自由将校団など大衆政治勢力の出現や党内分裂もあり、同党はしだいに大衆的支持を失っていった。以後、親英的立場に命脈をつないだが、52年ナギブや、ナセル率いる自由将校団による、王制打倒とイギリス軍事支配からの脱却を目ざしたエジプト革命の成功で、翌53年ほかの政党とともに解散させられた。
 その後、脱ナセル化路線をとるサダト政権の政治革命により、1978年批判勢力の一つとして新ワフド党が復活した。しかし、サダトの開放経済が元で生じた階級間格差に対する国民の不満が高まりだすと、サダトは批判勢力を封じ込め、新ワフド党は3か月後解散に追いやられた。その後、83年ムバラク政権時に再復活し、民族主義中道派として合法10政党の一つとなった。95年選挙の議会の議席数は、直接選挙分444議席中6議席であった。機関紙『アルワフド』を発行している。[藤井宏志]
『P. M. Holt Political and Social Change in Modern Egypt(1967, Oxford University Press) ▽P. J. Vatikiotis A Modern History of Egypt(1980, Weidenfeld & Nicolson, London) ▽鈴木八司監修『エジプト』(1996・新潮社)』

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世界大百科事典内のワフド党の言及

【ムハンマド・アリー朝】より

…その後のエジプト政治は,イギリスからの完全独立の達成という課題をめぐって展開された。その政治過程は,(1)イギリス,(2)トルコ系大地主貴族階層を支持基盤とする国王・宮廷勢力,(3)議会制の枠内での政治闘争を目ざし,中小地主階層と民族産業資本家階層を主たる支持基盤とするワフド党,の利害がからみあって展開された。さらに,1930年代以降は,(4)都市大衆を組織したムスリム同胞団を中心とする大衆運動もこれに加わった。…

※「ワフド党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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