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ワルシャワ ワルシャワWarszawa

7件 の用語解説(ワルシャワの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ワルシャワ
ワルシャワ
Warszawa

ポーランドの首都。ポーランド中東部,マゾウィエツキェ県の県都。英語ではワルソー Warsaw,ドイツ語ではワルシャウ Warschau。ウォラ,オホタ,ジョリボシ,シルドミェシチェ,モコトゥフ,プラガ北,プラガ南の7行政区からなり,県と同等の地位をもつ特別行政区をなす。

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デジタル大辞泉の解説

ワルシャワ(Warszawa)

ポーランド共和国の首都。同国中部、ウィスワ川中流に位置し、交通の要地。機械・金属・印刷工業が盛ん。1596年以来の首都。第二次大戦ドイツ軍に破壊されたが復興、旧市街は復元された。人口、行政区170万(2008)。ワルソー。

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百科事典マイペディアの解説

ワルシャワ

ポーランドの首都。英語名はワルソーWarsaw。同国中部,ビスワ川にまたがり,政治・経済・文化・交通の中心。第2次大戦前からの繊維・食品工業のほか,戦後は金属加工,機械,電気機器,自動車,化学などの工業も盛んになり,印刷・出版コンビナートも建設されている。
→関連項目ポーランド

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世界遺産情報の解説

ワルシャワ

ワルシャワはポーランド共和国の首都で、ウィスワ川中流に位置しています。見どころは世界遺産にも指定されているワルシャワ歴史地区第二次世界大戦でドイツ軍に破壊され廃墟となりましたが、戦前の絵画や地図をもとに再建され、昔の面影を取り戻しました。「北のパリ」ともいわれ、美しい町並みを誇っています。ワルシャワは世界でも有数の、公園の占める割合が大きい都市です。18世紀にポーランド最後の王によって造られたワジェンキ公園では、世界中から集めた様々な木々が豊かな森をつくり、美しいワジェンキ宮殿を包み込んでいます。

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世界大百科事典 第2版の解説

ワルシャワ【Warszawa】

ポーランドの首都で,ワルシャワ県の県都。ポーランド中東部,マゾフシェ地方にあり,政治・経済・学術・文化の中心地。人口164万0700(1995)。大都市域人口にあたる同県人口は241万6500(1995)である。市街地はビスワ川中流の両岸の河岸段丘上に形成されている。ビスワ川流域は広大な構造平野の一部にあたり,ワルシャワはビスワ川中流域の農業地域の中央に位置する。経済的には後進地域の真中に島のように存在する大都市である。

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大辞林 第三版の解説

ワルシャワ【Warszawa】

ポーランド共和国の首都。同国の中部、ウィスラ川中流にある。工業・学術・文化の中心地。鉄鋼・自動車・機械などの工業が発達。英語名ワルソー。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ワルシャワ
わるしゃわ
Warszawa

ポーランド共和国の首都。ポーランド中東部、マゾフシェ地方マゾフシェ県にある。人口160万9700(2002)。英語名ワルソー(ウォーソー)Warsaw。市街地はビスワ川中流両岸の河岸段丘上に形成されている。ビスワ川流域の低平な平野は、北ドイツ平野から広大なロシア平原に至る構造平野の一部である。ワルシャワはビスワ川中流域の農業地域の中央にあり、経済的に後進地域の中に島状に存在する大都市である。平均気温は1月零下3.3℃、7月17.9℃で、冬は厳しく夏は過ごしやすい。
 第二次世界大戦で被害を受けたが、戦後、国の経済成長の拠点として発展し、人口は1950年の83万から1960年の116万へ、さらに1970年の135万へと急速に増加した。戦前の工業は繊維、皮革、製粉、マッチなど軽工業が主力であったが、現在は金属・機械工業が中心である。周辺市街地を含めてワルシャワ県を構成し、ワルシャワ県の工業は全工業生産の12.7%(1997)を占め、とくに乗用車(全国生産の22%)、汎用(はんよう)トラクター(70%)、テレビ(36%)の生産が重要である。ほかに化学、金属加工、食品、繊維の諸工業が立地する。ワルシャワ県の工業人口は全就業人口の30.6%を占める(1997)。市北部やビスワ川の右岸に新しい工業地区が建設され、周辺の衛星都市ウルススやジェラニ、プルシュコフは新しい工業地域となった。
 ワルシャワは水陸空の交通上の大結節点で、サンクト・ペテルブルグ、モスクワ、ベルリン、パリ、ウィーン、ソフィアなどへの国際列車がワルシャワ中央駅から発着する。市南部のオケンツェ国際空港からは東西ヨーロッパ各都市へ航空路が開かれ、ビスワ川にある河港は運河網によりドニエプル川、オドラ(オーデル)川、エルベ川と結ばれ、内陸水運の中心となっている。
 学術、文化、芸術関係の施設としては、ポーランド科学アカデミーとその諸研究所、ワルシャワ大学(1818創立)や工科大学(1826創立)などの高等教育機関、国立博物館、歴史博物館、大オペラ劇場、交響楽団、国立図書館、ワルシャワ公共図書館など、多数が存在する。また1927年以来5年ごとに開かれるショパン国際ピアノ・コンクールは有名である。旧王宮をはじめとする17、18世紀の宮殿は政府関係の庁舎として使われている。南郊にはソビエスキ3世の夏の離宮でバロック様式のビラヌフ宮殿が残る。第二次世界大戦で被害を受けたが旧市街は復原され、市場広場を中心に、14世紀ゴシック様式の聖ヤン教会など古い教会が多く建っている。[山本 茂]

歴史

10世紀ごろに集落や城塞(じょうさい)ができ、15~16世紀にはマゾフシェ公の居城が置かれた。1526年からポーランド王国領となり、1596年にジグムント3世がここを王国の首都に定めてから発展した。17世紀にスウェーデン軍の侵入やペストの流行によって一時発展を阻害されたが、その後急速に復興し、18世紀後半には著しい発展を示した。第三次ポーランド分割(1795)によってプロイセン領となってからは人口が減少した。1807年にはナポレオンが創設したワルシャワ公国の首都となり、1815年からはウィーン会議で成立したロシア領ポーランド王国の首都となり、1818年には大学が設立され、文化、産業の中心地となった。1830年と1864年に反ロシア蜂起(ほうき)が起こり、蜂起鎮圧後は抑圧政策が強化されるが、19世紀後半にはヨーロッパの諸都市と鉄道で結ばれるようになり、商業の中心地として栄え、人口も急増した。また19世紀末からは労働運動が活発になった。第一次世界大戦中はドイツ軍に占領されたが、1918年、ポーランド共和国の独立に際し、その首都となった。第二次世界大戦中はナチス・ドイツによって占領され、市民の抵抗運動があり、多くのポーランド人やユダヤ人が抑圧、虐殺された。とくに1943年のユダヤ人ゲットーの蜂起に対する弾圧は峻烈(しゅんれつ)を極めた。また1944年8月にはポーランド人の蜂起が起きたが、背後にあったソ連の支援を受けられず、多くの市民が殺され、同年10月降伏した。第二次世界大戦では市の80%が破壊されたが、戦後急速に復興し、とくに旧市街はすべて元どおりに復原された。社会主義体制下、自主独立労組「連帯」などの大衆運動が盛んな時代にはグダニスクなど工業都市のかげに隠れていたが、1989年の東欧革命による社会主義体制と共産党支配の崩壊ののち、東欧諸国からの行商人などの拠点として、また、西側の資本の流入やEU加盟などにより、かつての国際都市の面影を取り戻しつつある。[安部一郎]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内のワルシャワの言及

【町並み保存】より

…従来の保存事業が,文化遺産と日常生活を別個の次元でとらえがちであったのに対して,文化遺産を継承することによって日常の生活環境を向上させるという姿勢が生じたのである。このほか,第2次大戦による被災を復旧するにあたって,ナチス・ドイツによる歴史の抹殺を復原によってくつがえそうとしたポーランドのワルシャワの例などあり,町並み保存の思想と実例は多様である。【鈴木 博之】。…

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