中庸の速さの三拍子の舞曲、およびその舞踊。「円舞曲」とも訳される。舞踊の特色は、男女が抱き合うように組み、重心を波状に移動させながら円を描いて踊る点にある。
[田井竜一]
その直接の起源は、18世紀の中ごろにドイツのバイエルン地方やオーストリアで踊られていた緩やかな三拍子のレントラーLändlerなど、一般にドイツ舞曲と総称される舞曲にある。実際ワルツということばが使われ始めたのは1780年ごろで、「回る・回転する」を意味するwaltzenがその語源であるといわれている。その後新しい社交ダンスとして急速に流行するようになったが、一方で不道徳であるという理由により弾圧を受けたりもした。しかし1814年から15年にかけて開催されたウィーン会議を契機にヨーロッパ全土に広まり、あらゆる階層の人々によって踊られるようになった。
[田井竜一]
こうしたワルツ熱をさらに助長し、一世を風靡(ふうび)したのが、ヨーゼフ・ランナーやヨハン・シュトラウス父子らによって1820年代以降に確立された「ウィンナ・ワルツ」である。その特色は、第二拍目と第三拍目をすこしずらす独特なリズムと、いくつかのワルツをつなぎあわせ、それに序奏とコーダをつけた長大な形式にある。ウィンナ・ワルツの登場によって、ワルツは娯楽性と芸術性を兼ね備えたものになったといえる。なおウィンナ・ワルツの作曲家にはこのほかツィーラー、『スケートをする人々』のワルトトイフェル、『ドナウ川のさざなみ』のイバノビッチ、『金と銀』のレハールなどがいる。
[田井竜一]
ワルツは世界的に流行したが、同時に各地にもともとあった音楽と融合した独特のワルツも誕生した。たとえば北欧のものはバルシュvallsiなどとよばれるが、テンポはゆっくりしており、むしろレントラーに近い性格をもつ。またパリの下町で踊られるバルス・ミュゼットvalse musetteは一拍目にアクセントがあるワルツで、バッグパイプのミュゼット(のちにアコーディオンにとってかわられた)の伴奏で踊られる。北アメリカではボストンBostonとよばれるゆったりとしたワルツが愛好され、1920年代にはヨーロッパでも流行した。さらに南アメリカにも導入され、コロンビアのパシージョpasillo、ペルーのバルス・ペルアーノvals peruanoなどがよく知られている。とくにペルーのものは、3/4拍子と6/8拍子の混合拍子で、独特の力強さと味わいをもっている。
[田井竜一]
18世紀末にオーストリア,南ドイツに生まれ,19世紀から20世紀初めまで社交ダンスのうち最も人気のあった3拍子の舞曲。円舞曲とも訳される。ドイツ語のwalzen(旋回する)が語源とされ,抱き合った男女の1対が足を滑らせるようなステップで旋回し,同時にフロアを円形に回るのが特徴である。類似した舞曲は古くから認められるが,直接の前身はオーストリアの農民舞曲レントラーLändlerと考えられる。
ウィーンで18世紀末にワルツが宮廷舞踊にとってかわった事実は,パートナーが直接抱き合うという民衆性とともに,舞踊史上象徴的な意味をもつ。レントラーが洗練を加えて,ワルツの性格が明瞭になったのは,ウィーン会議(1814-15)を契機にワルツが全ヨーロッパに普及しはじめた時期であり,例えばウェーバーのピアノ独奏曲《舞踏への勧誘》(1819)はその典型といえる。数曲連鎖したワルツに序奏と後奏のついた形式,変化に富んだ全曲の統一性,低音の1打に二つの和音が続く伴奏型(いわゆる〈ズン・チャッ・チャ〉),かなり急速なテンポなどである。こうした形態はランナーとヨハン・シュトラウス(父)によって磨きあげられ,〈ワルツ王〉と呼ばれた息子のヨハン・シュトラウスは,舞踏用ワルツを鑑賞用の芸術音楽に劣らぬ水準にまで高めた。こうした〈ウィンナ・ワルツ〉のほかにもさまざまな変種があり,フランスのバルスvalse,アメリカのボストン・ワルツが代表的である。ワルツの全盛時代は20世紀初めに新大陸のタンゴやジャズが流入したことで終わった。
19世紀を代表する舞曲だったため,ほとんどの作曲家がワルツを手がけている。舞踏用ワルツのほか,純然たる芸術作品としても,ピアノ曲,交響曲の楽章,声楽曲など無数の例がある。オペラやバレエなどの舞台作品には欠かせず,ことにオペレッタはワルツの高揚のなかで大団円となるのが普通である。大衆歌曲の分野でも愛用され,ドイツにはワルツァーリートがあり,フランスのシャンソンの多くはワルツのリズムで書かれている。20世紀の映画音楽や現代音楽では〈古きよき時代〉への郷愁や反発を意味する用法が多い。
日本でのワルツの歴史は,外国人居留地や少数の海外渡航者を別にすれば,明治時代の洋楽流入とともに始まる。鹿鳴館の開館(1883)と東京市中音楽隊の開業(1887)をもって本格的な普及が始まり,とくに行進曲やポルカとともに,ワルツをレパートリーの中心に置いた後者は活発に出張演奏を展開し,日清戦争から日露戦争の間には全国に類似の団体を生み出した(ジンタ)。3拍子系のリズムの伝統が乏しいとされる日本でワルツが急速に受け入れられたことは,1900年代に早くもワルツのリズムによる流行歌が生まれたことに示される。《美しき天然》(田中穂積(1855-1905)作曲・武島羽衣作詞,1900年ころ),《銀波》(外国曲?,1900年ころ),《ダニューブ河の漣(さざなみ)》(I. イワノビチの曲に田村貞一が作詞,1902年発表)らがそれで,いずれも感傷的な遅いテンポのワルツである。とりわけ佐世保の海軍軍楽隊長であった田中が作曲した《美しき天然》は,伝統的な旋律構成と西洋的な唱歌形式を合わせたもので,サーカスなどでも使われて日本のワルツの原像をなすものといえるだろう。
執筆者:森 泰彦
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…宮廷では,ゆったりとした音楽による,踊りの規則のやかましいものへと変化して,優雅なメヌエット,ガボット,カドリーユなどが生まれた。フランス革命後,宮廷での儀式的なものより庶民的な踊りが好まれるようになり,古くからオーストリアの山岳地方で行われていた舞踊レントラーLändlerがしだいにワルツに発展,ウィーンを中心にヨーロッパ全域へと爆発的な流行をもたらした。ワルツ王J.シュトラウスは,〈ウィンナ・ワルツ〉の名曲を数多く作ったが,男女が一対に組んで旋回をともないながら滑るように踊るワルツのステップに,今日の社交ダンスの起源をみることができる。…
※「ワルツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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