日本歴史地名大系 「一橋家陣屋跡」の解説
一橋家陣屋跡
ひとつばしけじんやあと
三卿の一橋家の遠州の所領を支配するために設置された陣屋跡。陣屋は御用所ともよばれた。相良藩主であった老中田沼意次の失脚後、松平定信の命で天明八年(一七八八)相良城が取壊され、相良藩領の地は幕府領となり、寛政六年(一七九四)一橋治済の所領となった。一橋家は解体された相良城跡には陣屋を設けず、
一橋家陣屋跡
ひとつばしけじんやあと
一橋家陣屋跡
ひとつばしけじんやあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報