翻訳|Veda
古代インドのバラモン教の聖典の総称。インド最古の文献であり,古代インドの宗教,神話はもちろん,社会事情一般を知るうえで不可欠の重要な資料とされる。〈ベーダ〉という語は,〈知る〉を意味するサンスクリットの動詞語根ビドvid-から派生した名詞で,もともとは知識一般を意味するが,とくに聖なる知識,宗教的知識を指すようになり,転じてそのような宗教的知識を収めた聖典の名称となった。バラモン教は,前1500年前後にインド亜大陸に侵入したインド・アーリヤ民族の民族宗教であるが,祭式を行って神々に供物をささげ,それによって神の恩恵を期待するという祭式主義をその根幹としている。ベーダはこの祭式の実用のために成立し,つねに祭式との密接な関連のもとに発達した文献群で,祭式を実行する祭官の役割分担に応じて,(1)《リグ・ベーダ》,(2)《サーマ・ベーダ》,(3)《ヤジュル・ベーダ》,(4)《アタルバ・ベーダ》の4種に分けられる。当初は前3者のみが正統の聖典として〈3ベーダ〉と呼ばれたが,後世になって,通俗信仰と関連しつつ成立したアタルバ・ベーダも第4のベーダとして聖典の列に加えられた。
この4ベーダのそれぞれは,内容上,次の4部門に分類される。
(1)サンヒター マントラmantraすなわち祭式で唱えられる賛歌,歌詞,祭詞,呪文を集録した文献で,〈本集〉と訳される。
(2)ブラーフマナ サンヒターに付随する文献で,ビディvidhi(儀軌)すなわち祭式実行の諸規則を述べる部分と,アルタ・バーダartha-vāda(釈義)すなわち祭式の由来や意義を説明する部分とを含む。
(3)アーラニヤカāraṇyaka 秘密の祭式や神秘的教義を収める文献で,人里を離れた森林で伝授されるべきものとされた。この名称は,森林を意味する語〈アラニヤaraṇya〉に由来する。
(4)ウパニシャッド 梵我一如の思想を代表とするさまざまな哲学的考察を,主として問答形式で展開する文献で,〈ベーダの終末部〉あるいは転じて〈ベーダの窮極〉という意味で,〈ベーダーンタvedānta〉とも呼ばれる。
以上の4部門を4種のベーダのそれぞれが含むので,たとえば《リグ・ベーダ》は,これに属する4部門の総称であるのが本来であるが,狭義の〈ベーダ〉として,たとえば《リグ・ベーダ》が《リグ・ベーダ・サンヒター》を意味するように,それぞれのサンヒターを指して単に〈ベーダ〉ということが多い。
以上のように,それぞれに4部門を含む4種のベーダの全体が〈ベーダ〉聖典であるが,〈ベーダ〉が4×4=16点の文献で構成されているわけではない。各ベーダともに,成立当初から伝承する学派の分裂を繰り返し,そのたびに学派の別立によって異なるサンヒターの伝本が生み出され,祭式規定の解釈の相違により別種のブラーフマナが作られるなど,おびただしい数の文献が続々と生み出された。それらの多くは歴史とともに湮滅(いんめつ)し,現在まで伝えられているのはそのごく小部分にすぎないが,それでもなお複雑な文献組織を呈している。バラモン教においては,〈ベーダ〉は人間の手になるものではなく,神の啓示を聖仙(リシṛṣi)が神秘的霊感として感得したものと考えられ,〈シュルティśruti(天啓)〉と呼ばれる。これに対して,聖仙が自ら叙述したものとされる文献群として〈スムリティsmṛti(聖伝)〉があり,さまざまな種類の文献を含むが,〈ベーダ〉に関連したものとしてとくに重要であるのが〈ベーダーンガvedāṅga〉である。これは〈ベーダ〉文献の発達に伴い,その理解を助けるための補助学として成立したもので,(1)シクシャーśikṣā(音声学),(2)カルパ・スートラ(祭式学),(3)ビヤーカラナvyākaraṇa(文法学),(4)ニルクタnirukta(語源学),(5)チャンダスchandas(韻律学),(6)ジョーティシャjyotiṣa(天文学)の6部分より成るが,とくにカルパ・スートラは,バラモン教祭式の実際を知るうえできわめて重要である。
ベーダの成立年代は,古代インドの事がらの常として,これを確定することは不可能に近い。現在のところ,おおまかな推定として,最古層にあたる《リグ・ベーダ・サンヒター》の成立が前1200年を中心とする数百年間,最新層に属する〈古ウパニシャッド〉の成立が前500年を中心とする数百年間と考えられている。ベーダは成立当初以来もっぱら口伝によって継承され,文字によって書き記されるようになったのは相当後世になってからのことであるが,その口伝の正確さは驚嘆に値する。ベーダの言語はいわゆるサンスクリット(梵語)に属するが,狭義のサンスクリットすなわち古典サンスクリットClassical Sanskritと比較してさらに古い語形を呈しているので,〈ベーダ語〉と呼ぶことが多い。もちろんベーダ語にも新旧の層があり,最古層は《リグ・ベーダ・サンヒター》に認められ,最新層の〈古ウパニシャッド〉の言語は古典サンスクリットに接近する。
サンスクリット,とくにベーダ語の発見が19世紀ヨーロッパにおける比較言語学の興起をもたらしたことはよく知られている。15世紀末のインド航路が開かれて以来,インドの事情がしだいにヨーロッパに知られるようになると,ベーダも断片的にではあるが紹介されはじめた。19世紀にいたってようやく本格的なベーダ研究が始められ,F.M.ミュラーなど数多くの学者によって原典の出版,翻訳,各種の研究が行われるようになり,ベーダ聖典の輪郭が明らかになった。しかし,今なお不明の部分の方が多いといっても過言ではなく,現在も各国の研究者により多方面からの研究が続けられている。
→ベーダ時代
執筆者:吉岡 司郎
イギリスの聖書学者,歴史叙述者,聖人。ビードBedeともいい,〈尊者Venerabilis〉と称される。7歳で生地ウィアマスの修道院に入り,まもなくジャロー修道院に移る。692年ころ異例の若さで助祭に任ぜられ,703年ころ司祭となる。早くから聖書研究に専心し,その学識は同時代人にも高く評価された。初期の作品《文字論》はアルファベット順に編集された事典であり,《韻律法》はさまざまな詩の形式を集めて解説したもので,ともに修道院の年少者の教育に資するためのものであったらしい。有名な664年のホイットビーの宗教会議での論争の結果,イングランドはローマ式算出法による復活祭の日取りを採用するが,その算出原理を説明したのが《年代論》である。同じころ書かれた《事物の本性について》も重要な科学的論考であるが,彼を〈イギリス史の父〉と呼ばせている歴史作品,特に731年までの《イギリス教会史》5巻は逸することができない。これは注意深く収集された情報によって,初期イギリス史第一級の史料ともなっている。
執筆者:今野 國雄
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インド最古の聖典。この語そのものは「知識」を意味する。この聖典は、天賦の詩的才能をもった詩人たちが、神の啓示を感得して、その詩的洞察力によってつくったとされる。その意味でシュルティすなわち天啓(てんけい)文学とよばれ、思想家などの著した文献であるスムリティすなわち聖伝文学に対比される。
ベーダの内容は祭祀(さいし)を前提とする。したがってそれは祭祀を実行するバラモンの祭官にかかわる。ベーダには『リグ・ベーダ』『サーマ・ベーダ』『ヤジュル・ベーダ』『アタルバ・ベーダ』の4種があり、一定の祭官に属している。ベーダの第一にあげられるものは『リグ・ベーダ』であり、賛歌を詠唱して神々を勧請(かんじょう)するホートリ祭官をはじめとするバフリチャ祭官に属する。このベーダはこの祭官が行う祭祀上の事柄を記している。第二にあげられる『サーマ・ベーダ』は、メロディにのせて賛歌を詠唱するウドガートリ祭官以下のチャンドーガ祭官に属する。第三のものは『ヤジュル・ベーダ』とよばれて、祭祀でもっとも活躍するアドバリユ祭官に属する。第四の『アタルバ・ベーダ』は呪術(じゅじゅつ)的な内容をもち、ベーダ聖典には含められなかったが、のちに加えられてブラフマン祭官所属とされた。
以上の4種のベーダは、一般にそれぞれ四つの部分から構成されている。その第一はサンヒター(本集(ほんじゅう))とよばれ、賛歌、歌詠、祭祀、呪句(じゅく)などの集成部分である。第二の部分はブラーフマナ(祭儀書)とよばれ、祭祀の説明部分であり、原則として散文で書かれる。これは、祭祀の賛歌などを解説するアルタバーダ(釈義)と、祭祀上の祭官などの行為を記したビディ(儀軌(ぎき))からなる。第三の部分はアーラニヤカ(森林書)とよばれ、森などでひそかに伝授される秘説を記す。第四の部分ウパニシャッド(奥義書(おくぎしょ))は「ベーダの末尾」の意味でベーダーンタとよばれ、当時の神秘的な思想を記している。なお第二から第四までの部分はときに独立せずに、互いに混じていることもある。また『ヤジュル・ベーダ』には、サンヒター部分にブラーフマナが混入した「黒ヤジュル・ベーダ」と、両者が分離した「白ヤジュル・ベーダ」があり、前者は後者より古い。
成立年代は『リグ・ベーダ』のサンヒターがもっとも古く、紀元前1200年ごろを中心とし、ついでウパニシャッドが概して新しく、前500年を中心としている。その祭祀は『シュラウタ・スートラ』(天啓経)、『グリヒヤ・スートラ』(家庭経)などの『カルパ・スートラ』(祭事経)に記され、ベーダの理解に密接な関係をもつ。ベーダの宗教は多神教であり、思想的には一元論の傾向が顕著である。その思想は後世の正統バラモン系統の哲学派の母胎となり、またその豊富な説話は後世の文学などの諸文化の基礎となった。言語は古典サンスクリット語よりいっそう古い。
[松濤誠達]
ベーダの研究を補助するものとしては一般に6種を数える。すなわちベーダの発声法に基づくシクシャー(音声学)、賛歌などの韻律を考察するチャンダス(韻律学)、ビヤーカラナ(文法学)、ニルクタ(語源学)、ジョーティシャ(天文学)、祭祀の研究であるカルパ(祭事学)がそれであり、多数の文献がある。
[松濤誠達]
『辻直四郎著『インド文明の曙』(岩波新書)』▽『M・ビンテルニッツ著、中野義照訳『ヴェーダの文学』(1964・日本印度学会)』▽『辻直四郎訳『リグ・ヴェーダ讃歌』『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌』(岩波文庫)』▽『辻直四郎著『ヴェーダ学論集』(1977・岩波書店)』▽『岩本裕・田中於莵彌・原実編『辻直四郎著作集Ⅰ・Ⅱ』(1982・法蔵館)』
イギリスの歴史家、神学者。ビードBedeともいわれ、その学識、人格のために「尊敬すべきベーダ」Beda Venerabilisと通称される。ヘプターキー(七王国)時代にキリスト教文化を誇っていたノーサンブリアの出身で、ベネディクト・ビスコプBenedict Biscobに師事し、ジャロー修道院で研究と著作に従事した。『イギリス教会史』の著者として有名であるが、『聖クースバート伝』『修道院長の歴史』その他多くの著作がある。彼の友人で弟子、のちにヨーク大司教となったエグバートEgbert(?―766)への書簡もノーサンブリアの教会、歴史を知るうえで史料的価値が高い。アンブロシウス、アウグスティヌスら教父の作品に拠(よ)っていたが、文法、暦にも通じ、ギリシア語にも造詣(ぞうけい)があった。
[富沢霊岸 2017年12月12日]
『長友栄三郎訳『イギリス教会史』(1965・創文社)』
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673頃~735
アングロ・サクソン時代のイングランドの神学者,歴史家。一生をジャロー修道院で送り,研究・著述に従事。中世神学の先駆者の一人。その学識,人格をもって「尊師」と呼ばれる。主著『イングランド人の教会史』。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
… これにつづく数世紀は,いわゆる中世の暗黒にようやく平和と文運の曙光がきざした時代で,ことにイギリス,フランスを中心に教学の復興が企てられ,カール大帝の即位した800年は,カトリック文学にとっても記念すべき年であった。まず7世紀にイギリスでは,《教会史》ほか多くの著作をもつベーダと,シャーボーンの司教でギリシア語とラテン語をよくし,長詩《聖処女賛頌》などを書いたアルドヘルムが相対して出た。後者の高弟がカール大帝の文教政策に参じたアルクインである。…
…彼は翌年のクリスマスに1万人以上のアングロ・サクソン人に洗礼を施したという。約1世紀後,ベーダはこの日がもと〈母たちの夜〉と呼ばれ,母なる女神の祝日だったと述べている。人々は改宗してもなお,寛大な教会の慈悲により,罪のない異教の祭りをたのしんでいたのである。…
…《ローランの歌》をはじめとする中世の叙事詩において,サラセン人は預言者ムハンマドをあがめる偶像崇拝者として描かれ,しかもムハンマドは偽預言者であり,イスラムは性的放縦を容認する宗教であり,ムハンマドをはじめサラセン人はすべて堕落した人びととされた。またベーダ(8世紀)をはじめとする聖書解釈学において,サラセン人は荒野に追いやられたアブラハムの子イシマエルの子孫として,好戦的な牧民,イサクよりも劣った一族とみなされた。このようなヨーロッパのキリスト教徒の嫌悪と軽蔑にみちたサラセン認識は,十字軍を準備する土壌であったが,十字軍の敗北とこれを通じてのイスラム教徒との接触は,すぐれたイスラムの文化やサラディン(サラーフ・アッディーン)をはじめとするイスラムの〈騎士〉像をヨーロッパに伝えるところとなった。…
…これらの内容は,まだそれほど水準の高いものではないが,中世前期において西欧知識人の基本的な科学的教養を培ったものとして重要である。8世紀にはカール大帝の下にイギリスからアルクインがよばれ,カロリング・ルネサンスが興るが,ここにもたらされたものはイングランドに地中海経由で一足さきに受け入れられていた科学知識を発展させたベーダらの天文学や自然学であった。またエリウゲナは独自な自然論を展開し,その宇宙論はT.ブラーエの天文体系に近づいたともいわれている。…
…しかし大陸の混乱の影響を受けなかったアイルランドの修道士たちの間で古典の研究と保存の伝統が持続され,7世紀初頭,彼らは大陸に進出して,スイスのザンクト・ガレンと北イタリアのボッビオに修道院を設立,ここが時代を通じて写本作りと研究の中心地になった。イングランドにも7世紀後半に,古典研究を聖書研究に不可欠とするヒエロニムス以来の考えを継承するアルドヘルムとベーダが登場し,その後継者ボニファティウスは大陸に渡って,フランク王国の教会改革に乗り出した。 8世紀中葉にカロリング朝が起こると,カール大帝の下でカロリング・ルネサンスが始まる。…
…これに反しインド・ヨーロッパ語の文学は過去4000年の長きにわたり,インド文学の主流をなしている。インド文学史は言語史の上から,古代のベーダ文学,中古の古典サンスクリット文学,近世の諸地方語文学に分けられる。古代・中古の文学はインド・アーリヤ語の文学であって,近世の文学もインド・ヨーロッパ語文学を主流とするが,便宜上ドラビダ文学もこれに含める。…
…1876年には1時間半の間に10万人がおぼれ,1959年にも10万戸が失われた。【藤原 健蔵】
[ガンガー川とインド文化]
前1500年前後にインダス川上流に侵入したインド・アーリヤ人は,前1000年ころにはガンガー(ガンジス),ヤムナー(ジャムナ)両川を中心とするガンガー川中流域に進出し,ベーダという宗教文献を編纂し,複雑な祭祀の体系を整備していった。先住民を彼らの社会体制の中に組み入れてゆく過程において,アーリヤ人の文化は先住民の宗教や生活習慣と融合して変容をとげた。…
…バラモン教の聖典で,4種のベーダの一つ。祭式において旋律にのせて歌われる賛歌,すなわちサーマンsāmanをおさめたもので,歌詠をつかさどるウドガートリUdgātṛ祭官に所属する。…
…インド,バラモン教の聖典ベーダを構成する4部門(サンヒター,ブラーフマナ,アーラニヤカ,ウパニシャッド)の一つ。マントラmantraすなわち祭式の中でとなえられる賛歌,歌詠,祭詞,呪文を集大成した文献群をさし,日本では通例〈本集〉と訳している。…
…しかし,両者の音楽とも,今日に至るまでヒンドゥー教と不可分的なつながりをもってきた。バラモン教文献はベーダと総称されるが,その歌唱の伝承は古代唱法をかなり忠実に伝えているものがあるとされている。4種の祭官に分掌される〈リグ〉〈サーマ〉〈ヤジュル〉〈アタルバ〉の各ベーダのうち,とくに《サーマ・ベーダ》などが古式を伝えている,ともいう。…
…古代インドのバラモン教の聖典〈ベーダ〉に属する文献群で,〈ベーダ〉を構成する四つの部門のうち,サンヒター(本集)につづく第2の部門にあたる。サンヒターがマントラすなわちバラモン教の祭式において唱えられる賛歌,歌詞,祭詞,呪文を集成したものであるのに対し,ブラーフマナは,祭式の実行に関する規定やその神学的解釈を内容としている。…
※「ベーダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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