三帝同盟(読み)さんていどうめい(英語表記)League of the Three Emperors; Dreikaiserbund

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三帝同盟
さんていどうめい
League of the Three Emperors; Dreikaiserbund

1873年 10月,ドイツオーストリアロシアの3国皇帝間で結ばれた同盟。フランスの孤立化をはかるビスマルクの同盟外交の一環として,締結された。ベルリン会議後ロシア,オーストリアの対立で解体したため,81年6月新三帝同盟を結成,84年3月さらに3年間の延長を決定。 87年最終的に崩壊した。

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百科事典マイペディアの解説

三帝同盟【さんていどうめい】

1873年独・露・オーストリア3国皇帝間に結ばれた協約。非常事態に際しては各国が共同協議することを約した。しかしバルカンをめぐる露・オーストリアの対立のため強固な連合にはならず,1878年ベルリン会議のころ事実上崩壊。1881年新協約が結ばれたが1887年消滅。→再保障条約
→関連項目アンドラーシゴルチャコフビスマルクベルリン会議

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世界大百科事典 第2版の解説

さんていどうめい【三帝同盟 Dreikaiserbündnis[ドイツ]】

1870,80年代,ドイツ,オーストリア,ロシア3国の皇帝の間に結ばれた同盟。普仏(独仏)戦争後ヨーロッパの現状維持をはかるビスマルク外交の一環として,1873年に成立。締約国は他国の武力攻撃や革命の脅威に対して互いに協力を約束した。その後バルカンでのロシアとオーストリアの対立のため同盟は有名無実となった。しかし81年ビスマルクの努力で再建,84年にさらに3年間延長されたが,以後崩壊に向かい,87年には,ドイツはロシア一国と〈再保障条約〉を結んだ。

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大辞林 第三版の解説

さんていどうめい【三帝同盟】

独・墺・露の皇帝の間に結ばれた同盟。ビスマルクのフランス孤立化政策の一環をなす。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三帝同盟
さんていどうめい
Dreikaiserbundドイツ語

ビスマルク外交の一環としてドイツ、オーストリア、ロシアの3国皇帝間に結ばれた政治協定。1873年、3国皇帝がベルリンに会したおり、ビスマルクは、共和国フランスを中心とするヨーロッパの革命的諸潮流に対し、3国が君主主義の原則のうえに、ヨーロッパの現状維持のため協力することを提案、3国皇帝の間に同意が成立した。しかし、その後バルカンでロシアとオーストリアの対立が深まり、この協定も一時揺らいだ。しかしビスマルクの努力で1881年3国の間に中立条約が成立、83年にも更新された。しかしオーストリアとロシアの対立が激しくなったため、86年、条約は延長されず、三帝同盟は崩壊した。[木谷 勤]

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精選版 日本国語大辞典の解説

さんてい‐どうめい【三帝同盟】

普仏戦争後、一八七三年に結ばれたドイツ・オーストリア・ロシアの秘密協約。各国国境線の維持、革命運動の防止、バルカン問題の平和処理を内容とし、ビスマルク体制の一環を形成した。露土戦争後実効を失ったが、八一年、三帝協商として復活した。

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