細川三斎(1563―1645)を流祖とする茶道の流儀の一つ。三斎は細川藤孝(ふじたか)(幽斎)の長男で、名は忠興(ただおき)。利休七哲の一人で、数寄(すき)大名のなかでも利休の茶法をもっとも忠実に伝えたといわれる。後年、豊前(ぶぜん)(福岡県)小倉(こくら)城を経て、三男忠利(ただとし)の代に肥後(熊本県)移封が行われるや八代(やつしろ)城に移ったこともあって、当地方にその茶法が伝えられた。一方、江戸にあっては、旗本御書院番であった一尾伊織(いちおいおり)(1602―89)は三斎の茶を信奉し、三斎流茶道の確立に貢献するとともに三斎流一尾派をおこした。また江戸中期には三斎流の茶人荒井一掌(いっしょう)(1726―1804)が松平不昧(ふまい)に招かれて松江に移ったことから、出雲(いずも)地方に三斎流の茶が伝えられている。
[筒井紘一]
《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...