デジタル大辞泉
「三木竹二」の意味・読み・例文・類語
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みき‐たけじ【三木竹二】
- 演劇評論家。島根県出身。本名森篤次郎。森鴎外の弟。「歌舞伎」を創刊して、主宰。劇評、型の研究、外国演劇の紹介に努めた。慶応三~明治四一年(一八六七‐一九〇八)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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三木竹二 (みきたけじ)
生没年:1867-1908(慶応3-明治41)
劇評家。本名森篤次郎。森鷗外の弟。東京医科大学を卒業してのち,開業医になったが,早くから演劇への関心深く,鷗外と協力して西欧戯曲を翻訳,1892年には雑誌《歌舞伎新報》の編集に加わり,1900年からは雑誌《歌舞伎》(第1期)を主宰刊行した。俳優の演技を克明に記した〈型〉の著述と,穏健適切な劇評によって,劇界に大きく貢献している。
執筆者:松井 俊諭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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三木竹二
みきたけじ
[生]慶応3(1867).9.5. 石見
[没]1908.1.10.
劇評家。本名森篤次郎。小説家森鴎外の実弟。 1891年東京医科大学卒業,内科医をつとめる。かたわら学生時代より三木竹二の名で歌舞伎の劇評に筆をとった。 1900年安田善之助の出資で創刊された『歌舞伎』を主宰し編集にあたる。従来の役者評判記の見巧者的な態度を排し,型の記録や合評などの新しい形式,内容をもつ劇評を行い,近代批評の基礎を築いた。一方,小山内薫ら後進の育成指導にも尽力した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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三木竹二 みき-たけじ
1867-1908 明治時代の演劇評論家。
慶応3年9月5日生まれ。森鴎外(おうがい)の弟。東京で内科医を開業。かたわら歌舞伎を研究し,鴎外の「しからみ草紙」などに劇評をのせる。明治33年「歌舞伎」を創刊。役者評判記の域をこえた近代劇評の型を確立した。明治41年1月10日死去。42歳。石見(いわみ)(島根県)出身。帝国大学卒。本名は森篤次郎(とくじろう)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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三木 竹二 (みき たけじ)
生年月日:1867年9月5日
明治時代の劇評家;医師
1908年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の三木竹二の言及
【しからみ草紙】より
…また,この雑誌はいわゆる〈没理想論争〉において坪内逍遥に対して〈山房論文〉の名のもとに鷗外が論陣を張ったことによって知られている。これらの鋭い批評に加えて鷗外訳によるアンデルセンの《[即興詩人]》,三木竹二の劇評,古典の翻刻などが誌面を飾った。後継誌に《[めさまし草]》がある。…
※「三木竹二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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