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伊原青々園 いはら せいせいえん

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美術人名辞典の解説

伊原青々園

劇作家・劇評家・作家。松江生。二六新報社、都新聞社で劇評欄の担当、経営に当る。坪内逍遙の推薦で市川家の所蔵品を整理、『団十郎の芝居』等の著書を出し我国初の『日本演劇史』を発表。一方明治の大衆文学、ことに新聞小説の草創期の流行作家でもある。劇作には同郷の女形六世市川門之助のために書いた『出雲の阿国』がある。昭和16年(1941)歿、72才。

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デジタル大辞泉の解説

いはら‐せいせいえん〔‐セイセイヱン〕【伊原青々園】

[1870~1941]劇評家・小説家。本名、敏郎。島根の生まれ。演劇史の研究に努め、「日本演劇史」「近世日本演劇史」「明治演劇史」の三部作を完成。

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百科事典マイペディアの解説

伊原青々園【いはらせいせいえん】

劇作家,劇評家。本名敏郎。松江の生れ。一高中退後《都新聞》記者となり劇評に活躍。1900年三木竹二と雑誌《歌舞伎》を創刊編集した。主著《日本演劇史》《近世日本演劇史》《明治演劇史》《歌舞伎年表》(8巻)等。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊原青々園 いはら-せいせいえん

1870-1941 明治-昭和時代前期の演劇評論家,劇作家。
明治3年4月24日生まれ。坪内逍遥(しょうよう)の勧めで日本演劇史研究を終生の課題とした。「二六新報」をへて明治30年から晩年まで「都新聞」で劇評と小説などをかく。33年三木竹二と「歌舞伎」誌を創刊。昭和16年7月26日死去。72歳。出雲(いずも)(島根県)出身。第一高等学校中退。本名は敏郎(としろう)。著作に「日本演劇史」「近世日本演劇史」「明治演劇史」の演劇史3部作,「歌舞伎年表」,戯曲に「出雲の阿国(おくに)」。

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世界大百科事典 第2版の解説

いはらせいせいえん【伊原青々園】

1870‐1941(明治3‐昭和16)
劇評家,劇作家,小説家。本名敏郎。松江生れ。一高中退後,《早稲田文学》編集,1897年都新聞に入社。三木竹二の没後,雑誌《歌舞伎》(第1期)の主幹もつとめた。実録小説も多く,《出雲の阿国》という戯曲も書いたが,生涯の労作に《日本演劇史》《近世日本演劇史》《明治演劇史》の3冊,没後はじめて刊行された《歌舞伎年表》8巻がある。劇評は,温柔な筆で読みやすい文章が特色であった。【戸板 康二

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大辞林 第三版の解説

いはらせいせいえん【伊原青々園】

1870~1941) 劇評家・劇作家。島根県生まれ。一高中退。本名は敏郎。劇作と日本演劇史の研究に従事。著「日本演劇史」「近世日本演劇史」「明治演劇史」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伊原青々園
いはらせいせいえん

[生]明治3(1870).4.24. 松江
[没]1941.7.26. 東京
劇評家,劇作家,小説家,歌舞伎研究家。本名敏郎。第一高等学校中退後『二六新報』で劇評を執筆,のち坪内逍遙に招かれて『早稲田文学』の編集を行う。 1897年『都新聞』に入社,約 50年間劇評を担当。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊原青々園
いはらせいせいえん
(1870―1941)

演劇研究家、劇評家、劇作家、小説家。文学博士。本名伊原敏郎(としろう)。松江の元松江藩士の家に生まれる。第一高等学校中退。『二六新報』に入り劇評を担当、のち坪内逍遙(しょうよう)に招かれて『早稲田(わせだ)文学』の編集にあたる。1897年(明治30)『都新聞』に入り、以後50年間劇評を担当。その間三木竹二没後の『歌舞伎(かぶき)』を主宰、編集。小説に『五寸釘寅吉(ごすんくぎとらきち)』『仮名屋小梅』、戯曲に『出雲(いずも)の阿国(おくに)』『春日(かすが)山』がある。早くから逍遙の勧めで日本演劇史の研究を志し、『日本演劇史』(1904)、『近世日本演劇史』(1913)、『明治演劇史』(1933)の三部作、『歌舞伎年表』8巻(1956)のほか『歌右衛門(うたえもん)自伝』『市川団十郎』などがある。[菊池 明]

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世界大百科事典内の伊原青々園の言及

【歌舞伎年表】より

…1963年5月完結。1894年伊原敏郎(伊原青々園)は坪内逍遥の委嘱により《早稲田文学》誌上に歌舞伎の沿革を執筆することになった。これを機に伊原は演劇史研究を畢生の仕事と定め関根只誠の稿本《戯場年表》をもととして《歌舞伎年表》を作りはじめた。…

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