三津屋古墳(読み)みつやこふん

日本歴史地名大系 「三津屋古墳」の解説

三津屋古墳
みつやこふん

[現在地名]吉岡町大久保

榛名はるな山の東麓、利根川へと流込む午王頭ごおうず川の左岸にある。独立して所在する終末期古墳で、墳丘が対角線方向の長さ二三・八メートルの正八角形の平面形をとる。付近の宅地造成に先立って平成五年(一九九三)に調査され、この調査によって八角形であることが明らかになった。県内で正八角形を意図して墳丘が造られているものは、当古墳が唯一であり、近畿地方を除けば、類例はきわめて少ない。

墳丘は南下がりの斜面上に二段に構築されており、南側からの高さは約四・五メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三津屋古墳」の意味・わかりやすい解説

三津屋古墳
みつやこふん

群馬県北群馬郡吉岡町の丘陵先端近くの南斜面にある。1993年(平成5)の発掘調査により、八角形墳であることが判明した。直径約24メートルの二段構築になっており、1段目の一辺は9メートルで、平坦(へいたん)面外縁部に列石が巡る。2段目は6メートルで、葺石(ふきいし)で覆われている。部分的に幅2.2~2.4メートルの周堀(しゅうぼり)も確認されており、これも八角形を呈する可能性が高い。遺骸埋葬施設は破壊されていたが、残存していた石材などから自然石乱石積の横穴式両袖(そで)型石室で、全長7.5メートル、玄室長2.7メートル、玄室幅2.1メートル、羨道(せんどう)長4.8メートル、羨道幅1.2メートルと推定される。一辺がそれぞれ6メートル、9メートルの台形前庭をもつ。設計にあたっては、約30センチメートルを1尺とする唐尺が使用されたものと考えられる。また、玄室奥壁前面を中心に墳丘の規模が決められており、同心円の中に墳丘と周堀が収められている。石室は古い時期に開口しており、副葬品は発見されなかった。古墳の年代は、墳形などから7世紀の末ごろと考えられる。

 八角形墳は天皇陵および皇族のみに用いられたものと考えられてきたが、八角形の墳形が群馬県で採用された背景やこの古墳の被葬者性格などが問題点となっている。

大塚初重・柳下恵理子]

『瀧野巧著「群馬県北群馬郡吉岡町三津屋古墳」(『日本考古学年報』1993年度版・日本考古学協会)』

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