三浦村(読み)みうらむら

日本歴史地名大系 「三浦村」の解説

三浦村
みうらむら

[現在地名]大村市溝陸町みぞろくまち今村町いまむらまち西部町せいぶまち日泊町ひどまるまち

鈴田すずた村の南に位置する。中央部に岳があり、蔦川内つたがわち川・川・日泊川が南流し、内海に注ぐ。津田川内つたがわち浦・日泊浦・溝陸浦の三ヵ浦がある。江戸時代は大村藩領で、地方じかたに属する。慶長一〇年(一六〇五)の大村領内高目録に三浦村とみえ、高八五四石余で、田五三町一反余・畠三四町一反余、物成四七〇石余。慶長高帳では知行高六四五石余の庶家一門大村清助の知行地があった。同一七年の総検地では高一千一七五石余となるが(同一八年彼杵郡内検高目録)朱印高は八五四石余とされた(元和三年「大村純頼領知目録」大村家記)。慶長国絵図・正保国絵図でも高八五四石余で、寛文四年(一六六四)の大村純長領知目録(寛文朱印留)にも村名がみえる。


三浦村
みうらむら

[現在地名]八東町三浦

岩淵いわぶち村の南、小畑おばた川西岸に位置し、小畑郷一二ヵ村、小畑谷八ヵ村の一。当地くら谷から八上やかみ大江おおえ栃谷とちだに(現船岡町)へ抜ける道があり、倉谷越という(因幡志)。拝領高は六三石余。本免六ツ一分。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」によると高一一六石余、竈数二〇。「因幡志」では家数二三、物産は岩淵村に同じ。産土神は三浦大明神(キヨトコ大明神ともいう)


三浦村
みうらむら

[現在地名]松任市三浦町

幸明こうみよう村の南に位置し、東は橋爪新はしづめしん村。集落北西部を中村なかむら用水の分流ひがし川が流れる。天文一一年(一五四二)三月二三日には「ミウラ覚善」が宮保聖興みやぼしようこう寺の代理として三十日番衆を勤めている。同一三年一一月一九日、花山院家より家領三浦村などの知行回復について摂津石山本願寺に要請があり、証如は同年閏一一月二五日に申付けている。


三浦村
みようらむら

[現在地名]瀬戸内三浦みうら

ひゆう村の北に位置し、集落は瀬戸内の入江に臨む。ミョウラ、メウラという。瀬戸内に突き出た小半島に知之浦ちのうらの集落がある。万暦二年(一五七四)五月二八日の琉球辞令書(須子茂文書)に「ミうらはる」とみえ、瀬戸内西にし間切の須古茂すこむに住む「たる」に給されていた田地が当地などの一〇ヵ所の原(はる)にあった。近世は西間切西方のうち。正保琉球国絵図に村名の記載はないが、浜方に「通り瀬」「大そね」「ひら小島」などがみえる。


三浦村
みうらむら

[現在地名]十津川村大字三浦

山手やまて村の上流神納かんの川南岸にある村。十津川郷のうち。元禄郷帳に初めて村名がみえる。村高一三・八九石、幕府領。安政四年(一八五七)の産物取調帳(十津川宝蔵文書)に杉角尺〆二五本、椴栂松尺〆二七本、椎茸五〇〇目、楮一五貫目、椶櫚皮八〇〇枚、割菜四〇貫目、蜂蜜一貫目、煙草三六貫目とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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