滝廉太郎(読み)タキレンタロウ

デジタル大辞泉 「滝廉太郎」の意味・読み・例文・類語

たき‐れんたろう〔‐レンタラウ〕【滝廉太郎】

[1879~1903]作曲家。東京の生まれ。ドイツに留学。日本の洋楽揺籃ようらん期にすぐれた才能を示した。代表作荒城の月」「箱根八里」「鳩ぽっぽ」、ほかに歌曲四季」など。

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精選版 日本国語大辞典 「滝廉太郎」の意味・読み・例文・類語

たき‐れんたろう【滝廉太郎】

  1. 作曲家。東京生まれ。高等師範付属音楽学校(のちの東京音楽学校)卒。ドイツに留学、帰国後数々の名曲を作り、日本の洋楽の黎明期にその天才をうたわれた。父の郷里の大分で病没。歌曲集「四季」(二重唱「花」ほか)、歌曲「荒城の月」「箱根山」などがある。明治一二~三六年(一八七九‐一九〇三

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「滝廉太郎」の解説

滝 廉太郎
タキ レンタロウ


職業
作曲家 ピアニスト

生年月日
明治12年 8月24日

出生地
東京府 芝区南佐久間町(東京都港区)

出身地
大分県 竹田市

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)専修科〔明治31年〕卒

経歴
家は豊後日出藩(大分県日出町)で代々家老を務めた名家。父の吉弘は内務官僚で、その任地であった東京に生まれたが、その後、父の転勤に伴って横浜、富山、東京と各地を転々とする。明治22年父が大分県大分郡長として転出するが、自身は年老いた祖母と病気の姉とともに東京に残った。しかし間もなく祖母、姉が相次いで亡くなったため、父のいる大分に移り、さらに父が同県直入郡長に就任したため、24年一家を挙げて大分県竹田に引っ越した。少年時代から絵画と音楽を好み、手風琴やハーモニカバイオリンを巧みに奏でてみせたという。やがて音楽こそが自分の進むべき道と決心し、親戚の滝大吉らの理解を得て、27年高等小学校卒業後に上京。芝唱歌会で小山作之助に師事したのを経て、同年高等師範学校附属音楽学校(のち東京音楽学校)に入学。在学中は小山や同校でピアニストを教えていたラファエル・フォン・ケーベル幸田延、歌人の中村秋香らの指導を受け、29年同校学友会主宰の音楽会でラインベルガーバラード」のピアノ独奏を行い、その楽才に注目が集まった。また30年頃より作詞・作曲もはじめ、同年3月の「音楽雑誌」に初の作曲といわれる「日本男児」を寄稿。以来、先輩の東くめや師・中村らの作歌に曲をつけたものを発表し、次第に作曲の方面でも頭角を現した。31年同校を卒業後、同研究科に進学。同年東音秋季音楽会でバッハの「イタリア協奏曲」を演奏し、高い評価を受けた。32年より母校の嘱託となり、ピアノの指導に当たる。33年にはピアノ及び作曲研修のためドイツ留学を命ぜられたが、1年間の渡航延期を申し出て受理される。この間にもピアノ曲「メヌエット」などの器楽曲や声楽曲で充実した仕事を残した。特に歌曲・唱歌で顕著な業績を挙げ、組歌「四季」(中でも武島羽衣が作詞した“春のうららの隅田川”ではじまる「花」が有名)や34年の「中学唱歌」に採用された「荒城の月」「豊太閤」「箱根八里」、同年の「幼稚園唱歌」に収録された「鳩ぽっぽ」「お正月」「水あそび」「雪やこんこ」(いずれも作詞は東くめ)などの作品で知られる。なお、「荒城の月」は明治詩壇の第一人者土井晩翠が幼少時を過ごした会津若松城や仙台の青葉城を念頭に入れて作詞したものであると同時に、作曲者である瀧は少年時代を送った竹田の岡城址をイメージして作曲したものだともいわれている。この曲は現在でも小・中学校の音楽教科書に収録され、日本を代表する唱歌の一つとして広く知られている。34年横浜を出発してドイツに渡り、ベルリンで先に留学していた巌谷小波や幸田(安藤)幸らと会ったのち、ライプツィヒ音楽学校に入学、ピアノをタイヒミューラー、対位法をヤダスゾーンに学ぶが、間もなく結核にかかり、病臥。35年に帰国してからは東京を経て、郷里大分に戻り、病を養うが、36年23歳の若さで死去した。遺作はピアノ曲「憾(うらみ)」。他の作品に「春の海」「命をすてて」「四季の滝」「我が神州」「古城」「荒磯の波」などがある。

没年月日
明治36年 6月29日 (1903年)

伝記
天才音楽家・滝廉太郎、二十一世紀に蘇る滝廉太郎―夭折の響き清貧の譜―忘れられたニッポン人 楽聖滝廉太郎と父の時代わが愛の譜(うた)―滝廉太郎物語荒城の月―土井晩翠と滝廉太郎 渡辺 かぞい 著海老沢 敏 著加来 耕三 著郷原 宏 著山田 野理夫 著(発行元 近代文芸社岩波書店廣済堂出版新潮社恒文社 ’06’04’93’93’87発行)

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朝日日本歴史人物事典 「滝廉太郎」の解説

滝廉太郎

没年:明治36.6.29(1903)
生年:明治12.8.24(1879)
明治の作曲家。「荒城の月」「花」で知られている。吉弘,正子の長男として東京で生まれ,父の転勤にともない横浜,富山,東京,大分へと移り住む。竹田で高等小学校を卒業,上京して明治27(1894)年,東京音楽学校(東京芸大音楽学部)に入学する。同31年,卒業後研究科に入学,翌年から同校嘱託となり後進の指導に当たる。同34年,文部省留学生第1号としてドイツに渡り,ライプチヒ音楽院(フェリックス・メンデルスゾーン音楽院)に入学した。しかし風邪がもとで胸を病み,すぐに大学病院(カール・マルクス大学病院)に入院,3年間ドイツに滞在する予定だったが,渡独後1年3カ月で帰国のやむなきに至る。帰国後大分で静養したが,遂に満23歳10カ月の若さで死去する。大分市金池町万寿寺に葬られている。 作品には日本最初のピアノ曲「メヌエット」,「憾」(絶筆),そしてまた,日本でこれまで芸術的な歌曲といえばみな西欧の旋律に日本語の歌詞をあてはめていた時代,廉太郎が大きな抱負をもって世に送った「四季」(花,納涼,月,雪)の四部作(納涼を除いては合唱曲)がある。「月」は「秋の月」と題してのちに山田耕筰により独唱曲にもなっている。東京音楽学校編『中学唱歌』には男子中学生にあてる目的の38曲が収められているが,編纂の際,廉太郎は「荒城の月」「豊太閤」「箱根八里」を応募,3曲とも採用された。原曲「荒城の月」第2小節の嬰ホ音はホ音に,8分音符も4分音符にテンポも緩やかに歌われるようになった。山田耕筰の編曲によるものであろう。作詞者東くめ,鈴木毅一と企画・作曲・編纂した『幼稚園唱歌』(「お正月」「雪やこんこん」「鳩ぽっぽ」など20曲)は,はじめて幼児にわかりやすい口語体で書かれた唱歌集で,簡単な伴奏までつけられている。他に混声四部合唱曲「別れの歌」,独唱曲「荒磯」など優れた作品もある。廉太郎の作風はドイツロマン派音楽の影響を受けているとみられ,ロマン派音楽が西洋音楽的伝統や思潮の浅い日本において正統的に受け入れられ,他の追随を許さない独自の境地を開いたことは驚異である。当時,日本で西洋音楽の近代歌曲を本質的に創作し得たのは滝廉太郎であり,日本歌曲のひとつの道標である。<参考文献>小長久子『滝廉太郎』

(小長久子)

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改訂新版 世界大百科事典 「滝廉太郎」の意味・わかりやすい解説

滝廉太郎 (たきれんたろう)
生没年:1879-1903(明治12-36)

作曲家。8月24日東京市芝区南佐久間町に生まれる。父の転勤により神奈川,富山,東京,大分を転々としつつ多感な少年期を過ごす。1894年9月東京音楽学校に入学し,小山作之助,幸田延らに師事。研究科をへて同校嘱託となり後輩の指導にあたる。彼はテノールの美声に恵まれ,ピアノ演奏にすぐれ,クラリネット奏法も心得ていた。1901年4月ドイツ留学の途に就き,ライプチヒ音楽院に入学したが,胸の病を得て翌年8月帰国。大分県竹田町の実家で療養,03年6月29日死去。小長久子編《滝廉太郎全曲集 作品と解説》(1969)は,歌曲および唱歌43曲とピアノ曲2曲を収録。彼の代表作《四季》(武島羽衣作詞《花》を含む),《箱根八里》(鳥井忱作詞),《荒城の月》(土井晩翠作詞,のちにピアノ伴奏部を山田耕筰が作曲),《メヌエット》(ピアノ曲)は,ドイツ留学前の2年間に集中的に作曲されている。唱歌は東くめ作詞によるものが多い。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「滝廉太郎」の解説

滝 廉太郎
タキ レンタロウ

明治期の作曲家,ピアニスト



生年
明治12(1879)年8月24日

没年
明治36(1903)年6月29日

出生地
東京市芝区南佐久間町(現・東京都港区)

出身地
大分県竹田市

学歴〔年〕
東京音楽学校(現・東京芸術大学)専修科〔明治31年〕卒

経歴
芝唱歌会を経て、明治27年高等師範学校附属音楽学校(後の東京音楽学校)に入学。31年東音秋季音楽会でバッハの「イタリア協奏曲」を演奏して注目され、32年より母校の嘱託としてピアノを指導する。34年文部省留学生第1号として渡独、ライプティヒ国立音楽学校に入り、ピアノをタイヒミューラー、対位法をヤダスゾーンに学ぶが、結核となり翌年帰国、23歳の若さで死去。代表作に「荒城の月」「花」「箱根八里」「荒磯」など今日まで愛唱されている歌曲の他、ピアノ組曲「メヌエット」などの器楽曲がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「滝廉太郎」の意味・わかりやすい解説

滝廉太郎
たきれんたろう
(1879―1903)

作曲家。東京生まれ。高等師範付属音楽学校(後の東京音楽学校)在学中からピアノと作曲の才能を示し、研究科卒業と同時に母校の教師となり2年間勤務。この時期に、ピアノ曲『メヌエット』、組歌『四季』、中学唱歌『箱根八里』『荒城の月』、幼稚園唱歌『鳩(はと)ぽっぽ』『お正月』などの今日よく知られる作品を書いた。1901年(明治34)ドイツに留学し、ライプツィヒ音楽院で和声法や対位法など本格的な作曲技法を学んだ。しかし病気のため02年帰国し、翌明治36年郷里の大分で23歳の若さで亡くなった。彼は明治の洋楽揺籃(ようらん)期において、初めての本格的作曲家として近代西洋の作曲技法を用い、その後の山田耕筰(こうさく)以後の日本の歌曲の創作に大きな影響を与えた。

[船山 隆]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「滝廉太郎」の意味・わかりやすい解説

滝廉太郎
たきれんたろう

[生]1879.8.24. 東京
[没]1903.6.29. 大分
明治の作曲家。洋楽輸入以後の日本最初の本格的な作曲家。 1898年東京高等師範学校付属音楽学校 (現東京芸術大学音楽学部) 卒業。 1901年ドイツに留学したが,発病して翌年帰国。 1900年頃作曲した組歌『四季』 (有名な『花』を含む) は,洋楽のスタイルによる日本最初の芸術作品で,その後も歌曲『荒磯』,ピアノ曲『メヌエット』『憾 (うらみ) 』を作曲。中学唱歌の『荒城の月』 (無伴奏) などを作り,また言文一致唱歌運動に協力して『鳩ぽっぽ』『お正月』など今日も歌われている唱歌を作曲した。

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百科事典マイペディア 「滝廉太郎」の意味・わかりやすい解説

滝廉太郎【たきれんたろう】

作曲家。東京生れ。東京音楽学校専修部卒。母校のピアノ教授嘱託を経て,1901年ライプチヒ王立音楽院に留学。肺結核のため翌1902年帰国。父の郷里大分県竹田に帰り,24歳で世を去った。代表作に《花》《荒城の月》《箱根八里》《鳩ぽっぽ》などの歌曲・唱歌がある。
→関連項目竹田[市]土井晩翠

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「滝廉太郎」の解説

滝廉太郎
たきれんたろう

1879.8.24~1903.6.29

明治前期の作曲家。東京都出身。少年期を父の任地大分県竹田で送る。1894年(明治27)東京音楽学校へ入学。のち研究科へ進み,ピアノ授業の嘱託となる。1900年同校編集の「中学唱歌」に「荒城の月」「豊太閤」「箱根八里」を発表,文部省からドイツ留学の命をうけて翌01年ライプチヒ王立音楽院に留学したが,2カ月足らずで病に倒れ,02年7月帰国,翌年没。作品はほかに有名な「花」を含む連歌「四季」,ピアノ曲「メヌエット」「憾(うらみ)」など。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「滝廉太郎」の解説

滝 廉太郎

東京生まれ。役人であった父の転勤により、富山・大分にて少年時代を過ごす。幼い頃から音楽に興味を持ち、1894年、最年少(16歳)で東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学。ドイツ系ロシア人ケーベルや、欧州 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滝廉太郎」の解説

滝廉太郎 たき-れんたろう

1879-1903 明治時代の作曲家。
明治12年8月24日生まれ。ピアノを幸田延に,作曲をケーベルにまなび,東京音楽学校(現東京芸大)研究科卒業後母校の教師となる。歌曲集「四季」(「花」をふくむ),中学唱歌「荒城の月」「箱根八里」などを作曲。明治34年ドイツに留学したが,結核にかかり帰国。明治36年6月29日死去。25歳。東京出身。

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旺文社日本史事典 三訂版 「滝廉太郎」の解説

滝廉太郎
たきれんたろう

1879〜1903
明治時代の作曲家
東京の生まれ。東京高等師範学校付属音楽学校(東京音楽学校)卒業。ピアノ演奏・作曲の天才といわれた。ドイツに留学,病気になり帰国し,翌年死んだ。代表作に『荒城の月』『箱根八里』『花』など。

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367日誕生日大事典 「滝廉太郎」の解説

滝 廉太郎 (たき れんたろう)

生年月日:1879年8月24日
明治時代の作曲家
1903年没

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