内科学者。陸奥(むつ)国(福島県)生まれ。1888年(明治21)帝国大学医科大学を卒業し、同大学内科教師ベルツの助手となる。1889年ヨーロッパに遊学、パリでシャルコーに師事して神経病学を学び、1892年帰国。母校の内科学講師に任ぜられ、1895年教授に就任、1924年(大正13)退職までその任にあった。1929年(昭和4)東京同愛記念病院院長。筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)などの神経疾患に関する研究を主として行ったが、東北地方の首下がり病、回虫卵に関する研究などの業績がある。それまで外国人教師によって指導されていた医学教育を日本人によるものに変えることに努力し、また日本神経学会、日本内科学会の設立に尽力した。帝国学士院会員、東京医学会会頭などを歴任、1949年(昭和24)文化勲章を受章した。
[大鳥蘭三郎]
内科学者。日本近代内科学の成立に寄与し,ことに神経内科学を樹立したことで知られる。またフランス医学の日本への紹介者でもある。福島県生れ。東大卒。E.vonベルツの助手となったのち,欧米に留学,パリでJ.M.シャルコーにつき神経病学を学ぶ。1895年東大教授(当初第2講座,のち第1講座)となり,1924年までその地位にあって,青山胤通,入沢達吉とともに従前の外人教師による指導から独立して,日本人による医学教育・内科学の確立に努力した。神経病学のほか,新陳代謝病学,運動器官病学を研究し,首下がり病,ナナ条虫,カイチュウ卵,男子尿中の腟トリコモナス,サントニン駆虫機序などに関する業績がある。日本神経学会,日本内科学会を創立。25年には同愛記念病院長(東京)となった。帝国学士院会員,宮内省御用掛,東京医学会会頭を歴任した。49年文化勲章受章。最後まで臨床家を自任した。
執筆者:長門谷 洋治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治〜昭和期の内科医学者 東京帝大名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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