上桜井村(読み)かみさくらいむら

日本歴史地名大系 「上桜井村」の解説

上桜井村
かみさくらいむら

[現在地名]北茨城市中郷なかごう町上桜井

大北おおきた川の下流右岸に位置し、東西一三町余・南北一六町余の平地の村。東は下桜井村。「松岡地理志」によると、古くは下桜井村と一村で「桜井村」と称したが、寛文一二年(一六七二)に上下二村に分れたという。康安二年(一三六二)の佐竹義篤譲状(秋田県立図書館蔵)に「多珂庄桜井郷」とみえ、この桜井郷が当村にあたる。文禄四年(一五九五)岩城領検地目録(静嘉堂文庫蔵)に「千百六拾四石四升弐合 (竜子山分)桜井村」とあり、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高には村高一八二五・四一七石とある。元禄郷帳に「上桜井村」とみえ村高一一七三・九七石となる。


上桜井村
かみざくらいむら

[現在地名]佐久市大字桜井

東は千曲川を隔てて下中込しもなかごみ村に対し、南は跡部あとべ村・三塚みちづか村に接し、西は中桜井村、北は桜井新田村に境する。富岡とみおか(現国道二五四号)は村の南東から北西に抜けて中・下桜井村を経て中山道へ至る。集落は主として富岡道の南に展開する。土地は平坦にしてわずかに北に傾斜しながら千曲川に下る。所々泉水が湧出し、極寒の時も川に氷をみることがない。

寛永一三年(一六三六)信州佐久郡子ノ年御改付御帳(文部省史料館蔵)に「高四百拾九石八斗三舛四合 取米百五拾八石八斗壱舛 上桜井村」とある。


上桜井村
かみさくらいむら

[現在地名]大田原市小滝こだき

東は丘陵地、西は湯坂ゆざか川が南西へ流れる平坦地、集落は沿岸微高地にある。東は乙連沢おとれざわ村、南は桜井村、北・西は小滝村。東西に棚倉たなくら街道が通る。天正一八年(一五九〇)大田原氏が豊臣秀吉から安堵された所領のうちに「こたき、上さくら井」がみえ、五九二石三斗とある(「大田原藩領知覚書」伊藤安雄文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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