20世紀日本人名事典 「下田光造」の解説
下田 光造
シモダ ミツゾウ
大正・昭和期の精神医学者 元・鳥取大学学長。
- 生年
- 明治18(1885)年3月14日
- 没年
- 昭和53(1978)年8月25日
- 出生地
- 鳥取県
- 学歴〔年〕
- 東京帝大医科大学医学科〔明治43年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士〔大正10年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 米子市名誉市民〔昭和38年〕
- 経歴
- 呉秀三門下。東京府巣鴨病院医員、医長を経て大正10年慶応義塾大学教授となった。14〜昭和20年九州帝大教授、20年米子医学専門学校初代校長、21年米子医科大学学長。28年鳥取大学学長となり、32年退官、38年米子市名誉市民。てんかんの病理学を研究、大正11年ウォルフのトリオナールによる持続睡眠を改良、ズルフォナールによる持続睡眠療法を編んだ。また躁鬱病について昭和16年執着気質を提唱、戦後その創見が認められた。著書「最新精神病学」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報