下田遺跡
しもだいせき
[現在地名]堺市下田町
四ッ池遺跡の南東、石津川によって形成された氾濫平野上に位置する。昭和六二年度に行われた試掘調査以来、幾度か発掘調査が実施されている。そのなかでも、昭和六三年(一九八八)の発掘調査によって、古墳時代前期の河道から出土した、きぬがさ(蓋)の部材や琴は、当遺跡を特徴づける遺物として注目された。
その後、平成五年(一九九三)から六年にかけて発掘調査が行われ、遺構・遺物とも豊富な内容の成果があった。なかでも重要なものとして、河川の近くでみつかった銅鐸埋納坑をまずあげることができる。
下
田遺跡
しもひえだいせき
[現在地名]行橋市下稗田
長峡川西岸の標高三〇メートル前後の八手状に延びる丘陵と谷部に広がる、豊前地域を代表する弥生時代の大規模な集落遺跡。昭和五四年(一九七九)から同五九年に発掘調査が行われた。弥生前期から中期の遺構には住居跡一七四軒・貯蔵穴一千九五九基・墳墓二七七基がある。弥生前期後半から前期末に全盛期を迎え、京都平野の本格的な拠点集落となる。同時に集落内の人口増に伴い分村の動きが生じる。
下田遺跡
しもだいせき
[現在地名]河合村角川 下田
角川段丘の最下段にあり、昭和五五年(一九八〇)より同五九年にかけて発掘調査が行われた。八基の竪穴住居跡が検出され、うち一号より七号住居跡は中心に大型炉跡があり、とくに五―七号では複式炉が設けられていたと推定される。一号は単式炉、三号は地床炉と思われ、その他のものに小型炉と思われるものが二、三ヵ所ずつ存在していた。六号は長軸一〇・一五メートル、短軸五・八メートルの小判型で、東北・北陸地方にみられる大型住居跡に類似する。
下田遺跡
しもだいせき
[現在地名]恵那市三郷町野井 下田
土岐川の支流野井川によって形成された小盆地中央、野井川右岸の低位段丘に位置する。昭和五六年(一九八一)発掘調査が行われた。縄文土器・須恵器・灰釉陶器・山茶碗などが出土している。加曾利EII式と里木II式土器をほぼ同比率で出土する。竪穴住居跡は一基だけが確認された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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