金銭を貸借するために担保として入れた土地をいう。質地による金銭の貸借は古代班田制下の墾田や荘園制下でも一部に行われ,貨幣経済の発展した室町時代には畿内を中心とした地域で進展した。しかし質地という不動産の取引が一般的形態となるのは近世である。近世の最も基本的な土地立法の一つに1643年(寛永20)3月の田畑永代売買禁止令がある。ところで,中世から近世初頭にかけての売買には,(1)永代売,(2)年季売,(3)本物返売という三つの概念があり,現在いうところの売買の概念は(1)を意味し,(2)は一定の期限をつけて田畑を売買し,(3)は借りた金銭を返納して担保の田畑を受け戻すという売買である。つまり田畑永代売買禁止令の対象となったのは(1)のみであり,(2)と(3)がいわゆる質地に転化したものである。幕府は質地をめぐる事件や紛争の対策として,66年(寛文6)には名主,五人組の加印による証文の作成を義務づけ,さらに87年(貞享4)に質年季の規定を追加した。しかしこれらの法令は田畑永代売買禁止の強調とその代償として許された田畑の質入れに関するものであり,質流れをも含んだ質地規定ではない。
幕府の質地規定が法制的に整備されるのは95年(元禄8)6月の質地取扱いに関する12ヵ条の覚で,その内容は質地証文に流地文言が銘記されている場合には質流れを認め,質入人の質地受返請求権を認めないというものである。また質地関係は当事者間の相対取決めを優先とし,幕府は原則として質地問題に介在しないこととしている。1718年(享保3),21年にも質地取扱いに関して法令を発布し,質入人の受返請求権を制限して質取人の権利の強化を法制化した。ところが,幕府は突然22年4月に流地禁止令を発布し,これまでの質地規定は江戸町方の屋敷地を質入れした場合の処置方法であり,元禄以来の質地取扱いは無効にするとした。だが村方において田畑の質入れが急速に展開している事実を無視したこの法令は,出羽国村山郡や越後国頸城郡下の幕領村々での大規模な質地騒動の発生により,翌年8月には撤回された。そして44年(延享1)には質取り,質流れによって田畑の移動を認める事実上の田畑永代売買禁止令の撤廃がみられるに至る。こうして村方では質地を中心とする土地集積が進み,幕藩領主と小農民の間に中間収奪者としての地主が登場することになり,新しい生産形態として各地に広範な地主・小作関係が展開し,明治維新の地租改正を迎えることになった。なお質地にもとづく貸借では,質取人が質地の利用権をもち,その収益を本利にあてるために債務元本そのものには利子がつかない。また質地に対する年貢は質取人が負担することを原則とし,頼納(らいのう)/(たのみおさめ),半頼納などは厳しく禁止され,質取人が質入人の承諾なしに又質に出すことも禁止された。
執筆者:佐藤 常雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…また小農生産力の上昇は手作大経営を縮小させ,その分を小作に出して,いわゆる第2次名田小作の形態を発生させた。【安孫子 麟】
[近世小作制度の諸相]
近世の小作については最も体系化された地方書である《地方(じかた)凡例録》では,〈自分所持の田畑を居村・他村たりとも他の百姓へ預け作らせ,又は田畑を質地に取り,元地主にても別人にても小作させ,年貢の外に余米又は入米などゝと云て,壱反に何程と作徳を極め作らするを云,元来は佃と云ものなれども,世俗小作と唱へ来る〉と述べており,預作,下作,掟作,請作,卸作,掛け放ちなどとも呼ばれた。小作地の大部分は田畑であるが,屋敷地,山林などの地目も対象となり,一部の地域では牛馬などの家畜も小作の対象となっている。…
…
[経済政策と都市政策]
1695年(元禄8)幕府は田畑の質入れを認めるが質流れを認めないそれまでの方針を改め,証文に質流文言がある場合は質流れを認めることとしたが,1722年4月流地禁止令を出し元禄以前の方針に戻した。この趣旨を拡大解釈し質地騒動が越後頸城郡や出羽長瀞で起こったので翌年8月撤回し,41年以降田畑永代売買の罰則を軽減したため,地主的土地所有形成の条件が作られた。一方元禄ごろから深刻化した物価騰貴に対し,1723年三都の町奉行に諮問し,翌年2月物価引下令を発した。…
…(2)貸借契約の場合 第1に不動産の質入れには,入質と見質の別があった。入質は契約と同時に質地の占有が貸主に移転するもので,これに2形態あった。すなわち,借主が負債を返還するまで貸主が質地からの収益を獲得するものと,貸主が元利相当分の収益を獲得した上で借主に返還するものである。…
…
[百姓経営の分解と地主・小作関係]
17世紀末~18世紀初頭以降における上述のような農業の発達は,百姓経営(小農経営)に担われた農業生産力の発達である。大坂周辺農村では元禄期(1688‐1704)には農産物の販売がみられ,田畑永代売買禁止令下での事実上の永代売が行われ,それにともなって百姓所持地の集中と喪失がすすみ,質地小作関係が展開する。1723年(享保8)の流地禁止令撤回を経て,質地小作は各地で広範に,急速に展開する。…
※「質地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新