中ソ不可侵条約(読み)ちゅうソふかしんじょうやく(その他表記)Sino-Soviet Non-Aggression Treaty

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中ソ不可侵条約」の意味・わかりやすい解説

中ソ不可侵条約
ちゅうソふかしんじょうやく
Sino-Soviet Non-Aggression Treaty

1937年8月 21日南京締結され,即日発効したソ連中華民国との不侵略条約。この条約は4ヵ条から成り,両国は相互間の戦争の放棄,不可侵略,いずれか一方に対する侵略国を支援しないことなどを約束した。有効期間5年で,2年ごとの自動延長を認めていた。 27年 12月以来国交断絶状態にあった中ソ両国は,31年の満州事変の発生によって日本の軍事的圧力を強く感じ,32年 12月国交を再開したが,35年3月のソ連の満州国向け中東鉄道売却協定,モンゴル人民共和国との相互援助条約締結など,中国が対ソ協調を躊躇する要因があった。しかし 36年 11月の日独防共協定成立,37年7月の日中戦争勃発などは,中ソ両国を急速に接近させ,この条約の締結となった。その後独ソ戦開始までに,ソ連は合計3億ドルを中国に融資し,また武器の供与,教官の派遣などによって中国軍を援助したが,この条約の精神に反する対中国謀略活動も行なった。この条約に次いで,45年8月 14日には中ソ友好同盟条約が結ばれたが,50年2月 14日にソ連と中華人民共和国との間に中ソ友好同盟相互援助条約が締結され,これに伴って 45年の条約は廃棄された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中ソ不可侵条約」の意味・わかりやすい解説

中ソ不可侵条約
ちゅうそふかしんじょうやく

1937年7月の盧溝橋(ろこうきょう)事件による日中の全面戦争突入直後の8月21日、南京(ナンキン)で中国、ソ連両国政府により調印された条約。全文四か条からなる。日本を特定して対象とせず「締約国は双方が国際紛争解決のために戦争に訴えることを否認し、また両国の関係において戦争を国家政策の手段として行使することを否認する」と宣言したものである。しかしそのねらいが、日本の対中国侵略に対してソ連が中国の政府、人民への支持を表明するところにあったことは明らかであった。この条約の締結と同時に、ソ連は中国に対する軍需品輸出を開始し、1938年には国民政府に借款を与え、1939年2月には航空協定、同6月には通商協定を結んで関係を強化した。

[宇佐美滋]

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